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 石垣島百景プラス・ワン
新城島  


石垣島南西に点在する大小16の島が「竹富町」だ。
最大の島は西表島、他に日本最南端の有人島波照間島や竹富島・小浜島・黒島・鳩間島・新城島・嘉弥真島などの個性豊かな島々が東シナ海と太平洋に翡翠(ヒスイ)のように散らばる南の夢の島々なのだ。
島別人口(R28年4月現在)
竹富島 362
黒島 218
小浜島 706
嘉弥真島
新城島 15人
西表島 ,406
鳩間島 43人
波照間島 508
4,260
        
竹富町の小さな島々からは何処に居ても海が見える。サトウキビ畑の小路を越えて行くとたいがいは海に行き当たるが、その海はいつもキラキラと明るく輝いて、島に居ると懐かしい海の匂いがする。

ここに住む人たちの暮らしは、この海の安らぎに呼応して時の流れに取り残されたようにささやかで慎ましく、安堵と平穏に満ちている。華燭や気負いはこの島々には何ひとつないのだ。

八重山には「八重山タイム」という不思議な時間が流れているが、竹富島や西表島などの竹富町を支配している時間の流れは、この八重山タイムよりも、さらに進みが遅い。
僕は、この日本の南の端っこのちっぽけな島々に共通する不思議な時の流れのことを「てーどぅん(竹富)たいむ」と呼んでいる。「てーどぅん」というのは八重山方言で「竹富」という意味だ。

そんな南の島々をご紹介、名づけて「てーどぅん(竹富)たいむ(時間)」。
この不思議な島々には、島の数だけ感動がある。

                                           



Taketomi



「(土地を)売らない」「壊さない」「汚さない」「乱さない」「生かす」を5本柱とした「竹富島憲章」というのがあって、この島の伝統文化と自然環境を継承していくという島民の決意がうかがえる。
竹富島には昔ながらの南琉球伝統の赤瓦民家が残っていて、1987年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」にも指定された。いわば八重山のこころの故郷のような島なのだ。

この島を支配する「てーどぅんたいむ(竹富時間)」は、おおらかで、水牛車のようにその歩みがとても遅い。

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1.竹富島の町並み

竹富島は、最高海抜20.5mの平たくて小さな島だ。
珊瑚石(琉球石灰岩)で造られた白い石垣の塀と白い珊瑚の道が続き、まるで迷路のようだ。
ときおり、水牛車や自転車とすれ違う以外は、人気(ひとけ)は、まばら。
町並みは伝統的な赤瓦の木造建築で、どの家の庭も清潔に掃除され美しい。てーどぅんたいむが静かに流れる。

2.ピンフーのある家

ピンフーというのは、中庭に建てられた中塀のことだ。
暑い沖縄の夏を乗り切るため、沖縄の家屋は開けっぴろげなので目隠しとして建てられる。
昔は、客はピンフーの右から、家人は左側から家に入った。

珊瑚石の塀の後ろに色とりどりのハイビスカスが揺れているのが見える。

3.竹富の道 夏

真夏の竹富島の道は、陽光に照らされて光り輝いている。

まっ白な珊瑚の小路を辿っていくと、エメラルド・グリーンの八重山の海に着く。

島を訪れる人はみな、こんな島の風景に溶け込んで、のんびりと歩く。

4.町の広場

竹富島では広場も白砂だ。
家々に植えられたハイビスカスやブーゲンビリア、福木などの防風林もこの夢の島にはよく似合う。
丁寧に掃除された道路からはこの島の住民が、どれほど島を大切にしているかが、とても理解できる。
毎朝6時に起きてみんなで道路を掃除するらしい。

5.赤瓦と八重山の青空

竹富島の青空には赤瓦がよく似合う。

亜熱帯気候のこの島は、高温多湿で雨の日もけっこう多く、雨に降られたことが何度もあるのだが、なぜか、僕の記憶の中には晴天の竹富島しか残っていないのだ。

不思議な町である。


6.水牛車

竹富島のメインストリートを行く水牛車。

水牛は、かつての八重山では、農耕用にたくさん飼われていたが今は少数が残っているだけ。牛の歩みは遅くて、歩いたほうが早いが、観光客は大喜び。
オジィの弾く三線と「安里屋ゆんた」の曲をバックに島のメインストリートを我が物顔で闊歩する。

7.シーサー

遠くエジプトからシルクロードを経て中国経由で沖縄に伝わったというシーサーは、今では、立派に沖縄の守り神として夏の屋根の上で島人を見守る。

このシーサーが内地(ヤマト)に伝わって神社の狛犬(こまいぬ)になったということは、案外知られていない。
ところ変われば品変わる・・・・

8.郵便局の屋根

新築された竹富島郵便局の屋根にもシーサーが鎮座。

この島の人口は300人強で、島の郵便配達員は、各家庭の家族構成はおろか犬猫の数や名前まで知っている。
事件のないこの島には警察官は居ないので、10数年前までは、ナンバープレートのない車も走っていた。

9.なごみ?の塔

この島のランドマークタワーで、集落のほぼ中央にある赤山公園の丘に立つ塔。てっぺんからは伝統的な赤瓦の集落が一望できる。
ガイドブックで目にするする竹富島の集落の写真はココから撮影されたものが多いのだが、急勾配の怖い階段で、「全然なごまない」という声もあるのだ。

10.西桟橋

かつて、水源に乏しいこの島では稲作が困難であり、この桟橋から対岸の西表島に船で渡り、田を耕した。

この桟橋は人気の夕日スポットでもあり、夕暮れ時ともなると、何処からともなく人が集まってくる。


11.コンドイビーチ

竹富島で一番有名なビーチ。八重山諸島の中でも5本の指に入る名前の知られた浜。
きめ細かい白砂の海浜で、遠浅での美しいエメラルドグリーンの海域が広がる。

シーズンともなれば大勢の観光客や海水浴客で賑わう。ハブクラゲにはくれぐれも注意!

12.カイジ浜

漢字では「皆治浜」と書く。
星砂の浜として知られているが以前と比べるとその数は随分と減ってしまった。

星砂は有孔虫の遺骸が浜に打ち上げられたもので、この島では、「海の大蛇に食べられた星の子供の骨が流れ着いた」と語り継がれているのだ。

13.種子取祭1

種子取祭(たねとりさい)は国指定重要無形民俗文化財であり、この島最大の祭りでもある。

農業暦の正月である「節祭」から数えて49日後の申申(きのえさる)の日から始まり、壬辰(みずのえたつ)までの9日間にわたり伝統行事が繰り広げられる。
竹富島の方言では「たなどぅい」と発音する。

14.種子取祭2

五穀豊穣と島民の繁栄を神に祈願するこの祭祀は約600年の歴史があると言われている。

期間中7日目、8日目の両日は、世持御獄を中心に庭の芸能、舞台の芸能が行われ、様々な演目が奉納される。
祭一色のこの両日は、水牛車やレンタサイクルもみ〜んなお休みだ。

15.水牛車

もともと八重山には水牛は居らず、戦前から戦後にかけて石垣島に移住してきた台湾人が農耕のために持ち込んだ。
今ではもちろん、誰も水牛を農耕に使う人は居らず、もっぱら観光客を乗せてノロノロ町並みを歩くことが水牛の仕事になった。
でも、水牛と言うくらいだから1運行に1度、水浴びは欠かせない。


16.白い珊瑚の一本道

この白い珊瑚の一本道は、当然、星の砂へと続くのだ。

「旅を続けていればこそ
いつかもう一度会えるはず
白いサンゴの一本道は
星の砂へと続く道
サーツンダラカヌシャマ マタハーリヌ 竹富島で会いましょう♪」
Begin 「竹富島で会いましょう」

17.花の島

竹富島は「花の島」だ。

島中、どこへ行っても花が溢れていて、それは年中変わることがない。

満開の真っ赤なブーゲンビリアもいいが、ときにはこんな清楚な花もいいものだ。

18.喜宝院蒐集館

喜宝院(きほういん)は、日本最南端の仏教寺院。
「浄土宗本願寺派喜宝院」が正式名称だ。
この寺に併設する博物館が蒐集館、島にまつわる民俗資料、民芸品、衣装など約4000点を展示している。

19.竹富の未舗装路

集落を外れると、島内の路の多くはこんな感じ。
蝶がのんびりと飛んでいたりしてサイクリングにはもってこいだ。

最近は、この島にも「タクシー」なるものが出現したが、個人的には自転車で周るのが好きだ。高低差のない平坦な島だしね。

20.竹富小中学校

竹富島は本当に「花」が似合う島だ。学校だってご覧の通りの花だらけ。

小学校と中学校が同じ敷地にあるスタイルは、人口の少ない八重山では珍しいことではない。

グランドは天然芝で、のどかな恵まれた環境だ。

Iriomote


「東洋のガラパゴス」と異名をとる西表島は、沖縄県第二の広さの島(石垣島より広い)だが、総面積の90%は人の立ち入ることのない原始の山林だ。
延長が55kmある島の外周道路は島内を一周しておらず、島の西側半分の地区には道路がない。道路のない舟浮などの地区にも人は住んでいるが、島の北西の端の白浜という港から小船に乗って家に通うのだ。

有名な「イリオモテヤマネコ」が生物学的に「新種」と認められたのは1965年のことだ。
それまで、地元の人の一部はこの動物の存在を知っていたし、なかには「食べたことがある」という年寄りさえ居るが、それでも一般に知られた動物ではなかったが、島では、「ヤママヤー」は山にいるネコ、「マヤー」は飼いネコ、そして「ピンキマヤー」は野良ネコのことを指し厳密に区別されている。
このイリオモテヤマネコは劇的な発見のされ方をしてニュースで大きく取り上げられ、西表島を一躍有名にした。
このネコが居なかったら、誰もこの島を「イリオモテ」と読める内地人は居ないだろう。


こんな西表島にも人の暮らしはある。島の総人口はわずかに2,400人で、「イリオモテヤマネコ」のおかげで近年脚光を浴びてきた観光と、サトウキビやパインなどの栽培以外、これといった産業はなにもないのだ。
人はこの自然豊かな南の島の外周道路の周辺に寄り添って住み、先祖伝来のサトウヒギ畑を耕作したり、民宿を経営したり、公共土木工事の人夫仕事をしたりしてささやかな収入を得て暮らしている。
何もないこの島を訪ねてみると、現代人が、いかに不必要なものに囲まれて生活してきたかがよく分かる。

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1.由布島

由布島は、西表島の東方に西表島に寄り添っている小島だ。

西表島との間の海峡の水深は、満潮時でも50cmほどしかなく、歩いて渡ることもできるが、水牛車に乗って渡る人が多い。
この島は植物園になっていて、八重山一の集客力がある観光施設だ。

2.由布島通いの水牛車

由布島へ人を運ぶ水牛車は、今日も抜けるような青空の下で夢いっぱいの内地からの観光客を乗せて、のんびり歩く。
ときには、水牛の機嫌を損なって立ち往生する牛車もあるが、そこはそれ、愛嬌、愛嬌、この島でそんなことで怒ってはやってけません。
「郷に入らば郷に従え」の精神で。

3.水牛車に揺られて

水牛車に揺られて渡る由布島(ゆぶじま)。

関電工のテレビコマーシャルでいちやく全国に有名となった「海をわたる水牛車」だ。
このコマーシャルの放映直後から「あの島はどこだ」という問い合わせが殺到して「由布島」という名が全国に知れ渡った。

4.浜のオカヤドカリ

八重山の浜はオカヤドカリの遊び場だ。
こんな可愛いのがアチコチに居て、弁当の残りとかキャンプの食材とかを浜に置いておくと翌日行ってみるとすっかり掃除されている。

NHK「ちゅらさん」のオープニングに出てきたのもこいつだ。

5.サキシマスオウの樹

仲間川上流域にあるサキシマスオウの樹。

「板根(ばんこん)」と呼ばれる発達した根を備えた亜熱帯樹で、西表島などの湿気の多い森林の中にある。

昔は家具などの材料や船の舵の材料として使われたらしいが、今では伐採できない。


6.浦内川の船あそび

西表島には沖縄県最長の浦内川や仲間川などの発達した河川がある。
これらの河川の両岸はマングローブ林で、小船で川を遡って遊ぶととても楽しい。
上流には滝もある。

7.月ガ浜の昼下がり

西表島北部の月ガ浜。細かい白砂の穏やかな浜が続いていて気持ちがいい。

天気の良い日にこの浜で横になると正に時が立つのを忘れてしまう。浦島太郎のようだ。

8.耳切の浜

西表島には、いたるところにプライベートビーチのような浜がある。ここは北部の通称「耳切の浜」、海から吹き渡る潮風はとても心地がよく、なんにもない浜だが、何時間この浜に居ても飽きることがない。

9.人が居ません

工場がなく人口の少ない西表島では、人間が海を汚すことがあまりない。
ウミガメも安心して産卵にやってくる。八重山の海の透明度は抜群で、透き通ってキラキラと輝く。

10.パイン畑

西表島の基幹産業は、サトウキビ・パイン・バナナなどの南国果実栽培の農業だ。
南国の太陽の恵みをふんだんに受けて育ったこれらの作物は糖度に富み、とても美味い。


11.バラス島

西表島と鳩間島の間にあるサンゴの死骸などで出来た小さな小さな無人島。この島は台風や季節風の影響で毎年のように島のカタチが変わってしまうのだ。

「バラス」とは、本来、工事で使用する小石などを意味する言葉で、八重山地方の方言ではない。

12.マリウドの滝

マリウドの滝は、沖縄県最長の川「浦内川」の中流にある滝。
森の中を歩くとP音が高くなり、森の中に忽然と滝が現れる。

ここからさらに原生林を進むとカンピレーの滝、さらにイタジキ川に沿って上流に進めばマヤグスクの滝に着く。

13.カンピレーの滝

「神々が鎮座する」と言われるカンピレーの滝は、島の代表的なトレッキングコースの目的地だが、実はこの先にも山道はずっと続いており、通称「西表縦断トレイル」で、島の反対側の大富に抜ける事が出来る。
でも、この道は山道と言うより「けものみち」と言うほうが正しいのだ。

14.ピナイサーラの滝

沖縄県最大落差約55メートルのピナイサーラの滝を海中道路から眺めるとなかなか絶景だ。

人間の立ち入らぬ山また山の中にあるこの滝には人を寄せ付けぬ凛とした神々しさがある。

15.マヤプシキ

西表島でも東部地区だけに見られ特に仲間川にはまとまった群落がある。周辺には特徴的な「筍根(じゅんこん)」が発達する。

純マンゴローブ種に分類され、熱帯地方では30メートル近くの高木になるが、この島では6メートル程にしかならない。


16.ヤエヤマヒルギの種

「種」といっても正式には「胎生種子(たいせいしゅし)」と呼ばれ、いわば苗木のようなもので、種が干潮時に落ちると、軟らかい泥土に刺さりそのまま成長する。満潮時に落ちれば、プカプカと水面を漂いながら他の場所へと運ばれて行くのだ。不思議なヤツ・・・。

17.ヒルギ林

西表島では日本一多くの種類のマングローブ植物が観察できる。

写真の右側は「ヤエヤマヒルギ」で左側は「オヒルギ」というマングローブ樹、実は日本のマングローブの90%はこの島にあるのだ。

18.マングローブジャック

マングローブの特徴的な根は、満潮時には魚の住処になったりもする。
このゴマフエダイは海水魚だが、汽水域にも侵入して来て、鋭い歯で小魚などを捕食するなかなかどう猛なヤツなのです。

19.ただの猫では

オイラはただの猫ではありません。年間70万人の観光客をこの島に連れてくるイリオモテヤマネコ様なのだ。
でも、本物にお目にかかることは難しい。
なにせ夜行性で怖がりのうえ約100頭しか居ないんだもーん。

20.カンムリワシ

西表島ではよく目にするカンムリワシは国指定の特別天然記念物。イリオモテヤマネコと同じくこの島の食物連鎖の頂点にいる。

実は生息数は非常に少なく100〜200羽だと言われている。


21.マングローブの干潟

干潮時に現れる大きな干潟に下りてみると、シオマネキやコメツキガ二、ミナミトビハゼなどが観察できる。

西表島の川は大小を問わずマングローブが発達している。
日本のマングローブ林の90%がこの島にある。

22.ジャングル

西表島の90%はジャングルだ。一歩、道路を外れて山間部に入ると、人間の侵入を阻む手付かずの密林が延々と広がる。

こんなところになら、ヤマネコの100匹くらいは住んでいても少しもおかしくはないと思う。

23.船着場

浦内川をジャングルクルーズの船で7kmほど遡れば「軍艦岩」と呼ばれる船着場に到着する。
ここから滝を見に行くトレッキングコースが始まる。

このあたりは船が到着する時刻以外は完全な静寂に包まれている。

24.123°45′6,789″

ここは東経123度45分6,789秒に位置する地点で、子午線モニュメントが建てられている。

日本の標準時子午線はの明石の東経135度で、マニラは東経121度だからこの島がいかに西に位置しているか分かる。

25.路線バス

この島にだってれっきとした路線バスがある。ただ「路線」といっても島を一周する道路はなく、島を横断する道路もないので、大原〜白浜を往復するだけのルートだ。そのカラーリングから東京から来た旅行者は思わず「あっ都バスだ!」と言ってしまう。

26.船浮の風景

船浮へは、西表島の北の端っこにある白浜から船で行く。
人口40人の小さな集落は、イリオモテヤマネコ発見の地として知られ、定期船が通うようになってからは観光客も少しは来るようになった。

4月には「船浮音祭り」という音楽イベントもある。

27.船浮の拝所

船浮にも小さいながら御獄もあって拝所もある。

このちっぽけな集落にも神は居るのだ。沖縄人は、どこに住んでも神と共に生きる。

28.内離島・外離島

西表島に寄り添うようにある内離島・外離島の二島はもちろん無人島だ。電気も水道もなく、人は住んでいない。

人の手で汚すことのないこの辺りの海の透明度はバツグンで、10mの海底まで透けて見える。

29.外離島のビーチ

無人の外離島のビーチ、青い海と真っ青な空、鳥のさえずりの他には音すらもない。

俗界を離れるというのは、まさにこのことだ。こんなところなら裸で過ごしてもいい。現に「西表の仙人」と呼ばれる老人もこの島に住み着いている。

30.外離島のジャングル

外離島の山に入ると、そこは完全なジャングルだ。

でも、ジャングルの中にも旧日本軍の防空壕とか、兵舎の跡などが残っていて、戦時中に使われたアルマイトのヤカンが落ちていたりもする。


小浜島 Kohama



石垣港から高速艇で30分、面積9平方キロメートルの小浜島に着く。石西礁湖の真中にあるこの小島は、NHKの「ちゅらさん」の舞台となったことで全国に名を馳せた。

島の中心部にある大岳(ウフダキ)から望む海は、エメラルド・グリーンに映えて美しく、西表島との海峡、「ヨナラ水道」には、マンタ(オニイトマキエイ)が群泳する。
八重山を代表する「小浜節」をはじめ、数多い民謡を今に残す詩の島としても名高い。

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1.シュガーロードの風

シュガーロードと呼ばれる島の真中の一本道の両側はサトウキビ畑だ。
アップダウンの多い道には、夏になると蜃気楼が見られ、沖縄らしさを演出する。
遠くに見える山は西表だ。

2.ちゅらさんの木1

NHKちゅらさんの番組の中で植樹された、お馴染みのガジュマルの樹、島の北端の牧場の端にあり、海からもよく見える。

今や、小浜島一番の観光資源になった。

3.ちゅらさんの木2

海を臨む「ちゅらさんの木」。
この海の向こうには、どこまでもコバルトブルーに澄み渡る八重山屈指の海域「石西礁湖」が広がっている。

4.嘉弥真島と石垣島

真中の小島は「嘉弥真島」。
人口2名のこの島には定期船は通わない。

隆起珊瑚礁のこの島の海抜は5m、津波が来ればイチコロ?

5.細崎(クバザキ)

大岳(ウフダキ)から望む小浜島西端の細崎(クバザキ)。

右上に見えるのは黒島だ。
八重山諸島に展開するこれらの小島は、それぞれに個性豊かで穏やかだ。


6.はいむるぶし

「ヤマハリゾートはいむるぶし」という宿泊観光施設の中の水牛。
今は荷を引くこともなく悠々自適の引退生活だ。
アヒルやカモともお友達、日がな一日、草を食んで暮らす。

7.船崎のマンタモニュメント

小浜島と西表島の間にある「ヨナラ水道」と呼ぶ海道はマンタの通り道だ。
船崎に建てられたコンクリート製のマンタモニュメントは、この島の観光立地を象徴する碑なのだ。
空の青さが目に痛い。

8.バス停の看板

小浜交通という小さなバス会社があって、1日7便、小さな島を周る、島民の足だ。

観光客は、このペースにはついていけず、レンタバイクやレンタサイクルで島周りだ。手作り看板が可愛い。

9.さざ波の海

小浜の海は、石垣島・西表島・嘉弥真島などに囲まれて風がない「さざ波」の海だ。
太平洋の真中の小島だと言うのに、この島には大波は届かない。寄せる波はいつでも穏やかだ。

10.由布島と西表島

小浜は由布島と西表島に寄り添う小島だ。
けっして単独で生きて行けないのが離島の常で、買物も教育も石垣島なくては成り立たないのだ。でも、この島には石垣島にはない平穏の日々がある。


Kurosima



石垣港から高速船で30分。周囲12kmの別名「牛の島」。島の形がハートの形をしているので、「ハートアイランド」とも呼ばれている。島の人口約230名に対し牛の頭数が約10倍の牧畜が盛んな島。
島の中心には「日本の道100選」に選ばれている「東筋(あがりすじ)」がある。ウミガメが産卵にやって来る西の浜では西表島、新城島が見渡せる。また、八重山海中公園研究所があり、サンゴやウミガメの資料等が展示されている。
団体の観光客などはやって来ないため、なかなか人に出会わない、とにかくのんびりとした島。

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1.東筋(あがりすじ)

「日本の道100選」に選ばれた東筋(あがりすじ)。
島の中央を貫くこの生活道路は、かつて琉球王府時代に道の左右で住民を分けて強制移住させたことで知られる。
引き裂かれた恋人たちの悲恋の伝説が石垣島には残る。

2.ぴぱーち(島コショー)の樹

島の垣根のアチコチに実るのは「ぴぱーち」とよぶ島コショー

このコショー目当てに16世紀の大航海時代には西洋の船が頻繁に八重山に行き来していたのだ。方言の「ぴぱーち」の語源は、この名残の英語pepperだ。

3.タイマイの子供たち

鼈甲(べっこう)細工の材料として珍重されたタイマイは、かつて沖縄の貴重な輸出品。
ワシントン条約で漁が禁じられた今では、何もない小さな黒島の、ささやかな観光資源になったのだ。

八重山海中公園研究所

4.オイラが主役

黒島の主役は、やっぱりオイラさ!誰にも負けないぜ。
主役のこの地位はゼッタイ譲れません。

オイラの友達アマサギは、オイラの糞に集まってくる昆虫が大好物なのだ。

5.人手不足

黒島には交番がなく、警察官が居ない。この深刻な人手不足を補うのは、もっぱらこの駐在さん人形くんに課せられた重大な使命だ。

人口230人、事件のない黒島には警官は要らないのだ。


6.どこまで行っても牧場

黒島にはどこまで行っても牧場しかない。

牧場の中の大木は「ガジュマル」、牧草とカ゜ジュマルはとても相性がいいのだ。

7.海に続く路

海に続く路を降りると、珊瑚礁の浜だ。観光客の少ないこの浜には誰一人居ない。

波の音と風の音、他には何もない静寂の浜だ。

8.西の浜の午後

西の浜の午後は穏やかだ。
目の前に見えるのは西表島。
こんなところに1人でいると、浮世の憂さも都会のざわめきも、面倒な事はみんな忘れてしまうのだ。

9.伊古桟橋から出て行く船は

昔、この旧桟橋は、隣の西表島にある水田を耕しに通った百姓や、炭鉱に出稼ぎに行く黒島の島人(しまんちゅ)たちを乗せる船で賑わった。今では忘れられ、ときおり観光客がシャッターを押すだけ。

10.牧場の夕暮れ

黒島に牧場の夕暮れの時刻がやってきた。ほとんどの観光客は、日帰りなので、この風景に出会うことなく石垣島に帰っていく。

その後には牛と静寂だけが残る。


Hatoma



2006年にようやく石垣港からの定期的な高速船が就航し、これまでのように貨客フェリーや西表上原港からの郵便船に頼らなくても容易に渡れるようになったが、他の島々に比べまだまだ離島の中の離島である。
鳩間島は、竹富町の最北端に位置する周囲3.8kmの島で人口は約60名。八重山民謡の代表曲「鳩間節」の発祥地として有名だが、最近では、漫画「光の島」やドラマ「瑠璃の島」の舞台として一躍有名な島になった。

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1.鳩間中岡(なかもり)の碑

「鳩間中岡、走り登ぶりぃ♪」と鳩間節に歌われた丘の碑。
そんなに高い丘ではないが、これでも鳩間島では一番高いところなの。

鳩間は、周囲わずか3.8km、島の一本道を抜けるとすぐに島の裏側に到着する。

2.鳩間島灯台から

鳩間中岡にある鳩間島灯台は1948年に建てられたこの島のランドマークだ。

ココから眺める風景は「鳩間節」で歌われている通り、まさに見事だ。
むこうに見えるのは西表島。

3.物見台

まだ鳩間島灯台がなかった時代、この物見台の上で火を焚き、夜間の漁船の目印にしていた。

もちろん、現在は使用されておらず、今あるのは復元されたモノだ。

4.鳩間港1

鳩間島からは、どこに居ても灯台が見える。
灯台のところまで歩けば、この島を半周したことになる小さな島。
音楽祭や運動会の時は大勢の島民が「鳩間の港」をBGMに盛大な見送りをしてくれる。「船は行く行く 鳩間の港〜♪」

5.鳩間港2

最近定期的な高速船が就航し、以前より観光客も増えた。

船待ちだろうか、真夏の沖縄でもガジュマルの木陰に入ってしまえば涼しげだ。入道雲が湧きあがる彼方には西表島が・・今日は西表泊まりかな?


6.島のメインストリート

小さな島だけに道路の幅員も狭い。これでも大きな道で、未だ舗装されていない道が多い。こんな道には軽自動車が良く似合うのだ。

道で人と出会ったら挨拶を交わすのがこの島のマナーだ。

7.ヘリポート

八重山諸島の中で立派な医療施設があるのは石垣島だけだ。他の島で夜間に緊急患者が発生した場合はヘリで石垣の病院へ移送する。

ヘリポートは離島には欠かせない施設なのだ。

8.緑のグランド

ドラマ「瑠璃の島」や漫画「光の島」などの舞台として一躍有名になった鳩間小中学校。100年以上の歴史のある学校だ。

海沿いの天然芝のグランドを子供たちが元気に駆け回る。

9.日本最南端の町の最北端

竹富町は日本最南端の町だ。

鳩間島はその「竹富町」の最北端の島。どことなく滑稽だ。
おーりーとーろーりというのは鳩間の方言で「ようこそいらっしゃい」という意味。

10.ヤシガニ

人口の少ない鳩間島は、捕る人が少ないだけヤシガニの数も多いが、それでも近年、激減した。観光客相手の食材として高値で売れるからだ。
最近になって行政も保護に乗り出し、生態調査を始めたが、寿命は60年とも言われるのだ。


Hateruma



石垣港より高速船で約60分。人口約600名、島の周囲14.8kmの有人島としては日本最南端の島。
波照間(はてるま)の島の名前は「果てのウルマ(珊瑚礁)」に由来している。
北緯24度2分25秒、東経123度47分16秒に位置し、日本最南端という地理的な優位性を活かして「星空観測タワー」が高那にあり、南十字星が一番よく見れる観測タワーとして有名。
昔ながら石垣と屋敷を取り囲むフクギ、古い赤瓦の民家など八重山らしい風景の残る島でもある。港近くにある「ニシ浜」は八重山一とも言える美しい穏やかな浜だが、最南端の碑近くの高那崎は外洋に面しており荒々しい波が打ちつける。
最南端の波照間島で見上げる夜空はまさに星が降るようだ。

琉球エアーコミューター(RAC)は、2007年11月30日、赤字空路の石垣−波照間便の運航を終えた。
その後を引き継いでこの空路を「不定期航空路線」として運航することになったエアードルフィン社(本社那覇市)は、RACからアイランダー9人乗り機の引き渡しを受け、なんとか、この離島の空路の首の皮一枚がつながった。
この島で現在もっとも重視されている標語は「島人(しまんちゅ)が果たす役割は空の旅」だ。みんなどんどん乗ってね。
   

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1.ニシ浜遠望

島の北の端にあるが、沖縄ではニシ(北)浜。

遠浅の浜は干潮時には歩いて何100mも行ける。素晴らしいコバルトブルーの海は、とても日本離れしている。
時間があれば1日なにもしないでボーっとしているのもいい。

2.ニシ浜2

ニシ浜の海の色は、いつも鮮やかだ。

この浜に立って海を眺めると、この日本の南の端っこの小島が旅人の心を惹きつけてやまない理由がよく分かる。

3.ニシ浜3

波照間は小さい島なので、訪れる観光客の多くはレンタサイクルで島を周る。

この2台の自転車の主は、この浜に降りてから1時間近く帰ってこなかった。

何かいいもの見つけたかな。

4.日本最南端の碑

高那崎にある日本最南端の碑

この日の丸は、この南の島が日本の一部であることを思い出させるモニュメントだ。
国境の島からフィリピン国境まで700km、ここから那覇までは500kmでたいして変わらないのだ。

5.高那崎の波

高那崎は、日本最南端の島の最南端、東シナ海の荒波がいつでも打ち寄せる辺境の地なのだが、「辺境」という言葉は、何故か南の島には似合わないのだ。


6.高那崎2

絶壁の続く高那崎。

この海の向こうには、ホントはフィリピンまで島ひとつないが、沖縄では沖縄人(うちなー)が「ニライカナイ」と呼ぶ南の果ての理想郷があると言う。

7.海の彼方

この島は世界の果てであるということから「はてるま」と名づけられたという説があるほどの離島。人はみな、こんなふうに海を見つめ、海の彼方にあるものに思いを巡らせ、やがて船に乗り込んで島を出て行ったに違いないと僕は“勝手に”思うのだ。

8.公民館の謎

波照間の公民館は、ときには公民館であり三線教室であり、結婚式場だったり葬儀場だったりする。
もちろん、映画館になることも散髪屋になることもあるのだ。
波照間の謎はなかなか奥深く都会人には理解が困難だ。

9.おしゃれ

波照間で一番オシャレな店と言われる店。
いったい何の店かというと、喫茶店兼レストラン兼ショットバー兼コミニティルームなのだ。

どことなく日本ではないような・・・

10.波照間一有名な・・・

これこそが、波照間一有名な観光資源、汚水マンホールの蓋なのだ。

この蓋には、とても誇らしげに「日本最南端、南十字星が輝く島」と、書かれている。

11.集落にて

波照間の集落には、おじぃ・おばぁが多い。

このおじぃは、「タコ捕り名人」と評判の人、日がな一日、網の補修に余念がない。
最近は網の注文も多く、本人の言によれば、おじぃはこれでも、とても“忙しい”のだ。

12.民家

波照間の民家の多くは、昔ながらの木造赤瓦で、家の周りには珊瑚石の塀と福木の防風林がある。
沖縄でもこんな佇まいはもうほんとに少なくなった。

この風景に出会うと心が和む。

13.駐在さん

波照間のたったひとりの駐在さんの大切な日課は、毎日、船が着く時刻になると港に出張って、怪しい訪問者をチェックすることだ。
駐在さんの眼力にかかると、悪人はそれはもう一発で見抜いてしまうのだ。悪さをする奴は島に入れません!

14.島の暮らしは

観光客にとっては、南の夢の島である波照間も、島の住民にとっては生活の場。

人が来てくれるのは嬉しくても、あまりハシャギ回られるのは嫌なのだ。そんな気持ちも解ってあげたい。

15.旅の終わり

旅の終わりは、いつもメランコリーだ。
楽しかった彼女の一人旅は、この島で終わり、彼女は南の島の思い出を土産に街の暮らしに帰っていくのだろう。

街の暮らしに疲れたら、また遊びにおいで。


新城島 Aragusuku

         

新城島(あらぐすくじま)は上地島・下地島の2つの島からなり、別名パナリ島(離れ島)とも呼ばれる。西表島の離れに位置するという意味だ。

集落があり、一応、人が住んでいるのは上地島で人口は11人、下地島は島全体が民営の牧場で、牧場の関係者一世帯2人だけが住んでいる。
新城島は定期船のない島、島に行くには郵便船を使うが、便数は少なく石垣島などからのツアーに頼る。
島の周りは白砂のビーチが多く、とてもきれいな島だ。八重山には、かつてはジュゴンが生息しており、新城島は、最もジュゴンが多く捕獲された島だ。八重山ではジュゴンのことを「ザン」と呼び、琉球王朝時代、ジュゴンの干肉を貢納税として朝廷に納めていたという人魚伝説の島だ。 

※琉球王朝時代、ジュゴンの肉は不老長寿の薬とされ、琉球国王が食べるために「税」として新城島に課されていた。

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1.上地島から望む下地島

上地島(かみじじま)から下地島を望むと、島の中央にサイロが見える。
下地島は、牧畜を営む一世帯しか住んでない島だが、彼らは、一体どんな生活をしているか。
夫婦喧嘩はしないのかな?

他人ごとながら興味津々。

2.上地島のビーチ

なにせ人口9人の上地島、人間が海を汚すことはない。
そのせいだろうが、この島の海はやたら綺麗で、どこまでも透き通っている。新城島は、琉球王朝に人魚(ジュゴン)を献上したという島、この海なら人魚も住めたかも知れないね。

3.上地港

船を10雙も舫(もや)えば満杯になってしまう上地港。

今日も上地の人の小船だけが出入りしていく。

この島に定期船はなく、普通の手段では住民以外は島に来ることもできない。

4.メイン・ストリート

上地島のメイン・ストリートには行きかう人影はなく、もちろん、自動車なんてものはほとんど走りません。

この小さな島では、過去にも将来にも、ゼッタイに「交通事故」なんかは起こらない。

5.悠久の海

上地島の「北の浜」、この浜に寄せる波音は悠久の響きがする。
ここでは何もしないのが最高の贅沢だ。

海というのは、もともとこんな色だったのだということを改めて知る。

Yonaguni



与那国島は行政区分上は「与那国町」であり、「竹富町」ではないので、正式には「てーどぅんタイム」ではなく「どなんタイム」なのだが、そこは八重山らしく、かたい事は言いっこなしで・・・。
※与那国のことを八重山の方言で「どなん」と呼び、漢字で書くと「渡り難し:渡難」と書く。

与那国の唄 「風のどなん
※上の赤いところをクリックすると音楽が聴けます
 音が出ますので、職場で見ている人は要注意(*^_^*)
 
フィリピンから北上してくる黒潮は与那国島に当たって東向きに転進する。
特に冬場に東シナ海を渡ってくる強い北風は、正面からこの黒潮とまともにぶつかって大きな三角波となり、与那国に向かう船を襲う、まさに「渡難:どなん」の海ができるのだ。

与那国島は、石垣港からフェリーで4時間30分、飛行機で行けば30分。
石垣島よりさらに西に127km離れ、このまま西に110km行けばもう台湾だ。ここは日本最西端(北緯24度27分、東経123度)の島で、東シナ海の真中にポツンと浮かぶ黒潮湧き立つ「絶海の孤島」、数ある日本の「離島」のなかで、与那国こそが最も「離島」という呼び名に相応しいところだ。この島には、他の八重山諸島とは少々異なる不思議な文化と、黒潮の激流が造り上げたすばらしい自然が色濃く息づいている。

この島に関する最も古い記録は1477年(李朝朝鮮時代)に韓国で書かれた「成宗実録(済州島の漂流漁民の体験をもとに書かれた朝鮮の本)」だ。
これによると、1470年代当時(日本の戦国時代)の与那国には「文字がなく」「もっぱら稲米を食べる。飯は竹筒に盛って拳大に丸め、木の葉に飯塊をのせて食べる。塩醤の類はなく、海水を菜に加えてあつものを作る。酒は米をかんで木樋に入れて醸し、麹は使わない」「常に小槍を携行す。盗賊はなく、道に落ちたものは誰も拾わぬ。舟には帆があるが櫓はない。」と、当時の原始的な与那国の風俗が記されている。

島の周囲は約27.5km、人口約1800名で祖納・久部良・比川の三つの集落から成る。
島の周りを珊瑚礁で囲まれた他の八重山諸島の島々とは異なり、断崖絶壁の場所が多く、島の景観は極めて男性的だ。
島の規模や人口のわりには話題性や見所が多く、確かに「のんびり」とはしているのだが、この島が、かつて他の八重山の島々とは一線を画した「与那の国:独立国」であった事を今も偲ばせてくれる。


女酋長の島
まだ八重山諸島が政治的に統一される前の1490年以前は、与那国には独自の自治行政=国があった。
小さな島で人口が過剰に増えることは食糧危機につながるため、口減らしの悪政も生まれた。
そのひとつはクブラバリ(久部良割)、久部良部落の近くに深さ8m、巾2mほどの岩の割れ目があり、懐妊した女性は、ここに集められ、割れ目を飛び越えさせられたと言う。    
クブラバリ(久部良割)
割れ目を飛び越えられずに下に落ちて死ぬ者、無事に飛び越えても流産する者も居り、安易な口減らしの手段だったと伝わる。
もうひとつは、トゥングダ(人桝田)という田にドラやホラ貝を合図に島民全員をいっせいに集結させ、この田(3反程度の広さ)に入りきれずにあふれた者や集合に間に合わなかった者を処刑したと伝わる。

こんな悪政に果敢に立ち向かい、これを打倒した英雄がいた。
「サンアイ・イソバ」という女傑である。身の丈六尺(180cm)、肩幅三尺、二対の乳房を持ち、すこぶる怪力の持ち主であったと言う。一説にはヨーロッパ系の漂流外国人とも言われる。
この与那国島の「女酋長」イソバは、武力だけでなく政治にも才能を発揮し、祖納部落の上の高台ティンダバナのサンアイ(ガジュマル)の大木のあった村に住み、島人からは【サンアイイソバ・イソバアブ】(アブ=女性の尊称)と呼ばれていた。4人の兄弟を村に配して新村の開拓や牧場・新田の開墾、宮古島との貿易などにその政治手腕を振るった。
イソバは司祭者でもあり、島を統治して祭政両面 を主宰し、この時代の島の暮らしはとても豊かだったという。

日本列島最後の夕陽が拝める正真正銘の最西端の「西(いり)崎」、道路脇に柵がないため、しばしば道路を横断する牛や馬と出会える「南牧場」、打ち寄せる荒波に神々しさを漂わせてそそり立つ「立神岩」や「軍艦岩」、息を呑むほどに雄大な「東(あがり)崎」、まるで異国の遺跡のような規模の墓が立ち並ぶ「浦野墓地群」、かつての島の女酋長が住んだといわれ、祖納集落のランドマークである「ティンダバナ」などの名所や、最近では、人工物か自然の産物かが議論の的になっている「海底遺跡ポイント」やテレビドラマ「Dr.コトー」の舞台として知られ、この島を訪れる観光客も年々増えている。

島の中心の祖内集落は農業従事者が多いが、西側の久部良集落は漁業従事者が多く、カジキマグロ漁の基地でもあり、連日カジキの大物が水揚される。
他にも世界最大の蛾である「ヨナグニサン」の生息地であったり、アルコール60度の泡盛「花酒」の産地であったりと、こじんまりとしているのだが、とても見所の多い楽しい島だ。

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1.東京から2112km

ここは東京から2112km、
この島こそ、まさに日本の端っこだ。
日本最西端「西崎:イリザキ」に建つ石碑。
西崎からは晴れた日には台湾が見えるというが、実際には1年に数回しか見えない。

2.祖納集落

島の北部にある祖納集落。

与那国一の都会である祖納地区には役場や消防署、スーパー・居酒屋などがある。

どの家々も肩を寄せ合うようにひっそりと、人影は見えない。

3.ティンダバナを望む

かつてこの島を治めた女酋長サンアイ・イソバが住んだとされる村があった場所。祖納集落のランドマークだ。

彼女は、かなりの巨体で力持ちで、異国人であったとする説が有力だ。

4.この建物は・・・

これはどう見ても東南アジアの建築スタイルだ。色の使い方といい、建物の造りといい。でもここは東南アジアの北の玄関口、当たり前のことなのです。
西宮の甲子園球場にもみえるけどね・・・。

5.祖納の民家

2階建ての赤瓦の民家は八重山全体でも、非常に珍しい。どことなくモダンな香りがします。
うーんノスタルジー。

祖納の集落には、今でも比較的赤瓦の民家が多く残っており、なかなか情緒がある。


6.やっぱり日本最西端の碑

西崎に立つ石碑。ここが正真正銘の日本国の西の端だ。この岬から見えるのが日本列島の最後の夕陽だ。

ちなみに日本の首都東京より1時間30分遅れで日が暮れる。

7.久部良港の灯台

西崎から久部良港を望む。祖納が行政・経済なら久部良は港町だ。石垣行きのフェリーやダイビング船などもこの港から出航する。

防波堤の周りのテトラポットも絶海の孤島に似合うひと回り大きなものが使われている。

8.サンニヌ台

荒波による侵食で出来上がった男性的な景観。ここから軍艦岩や立神岩が望める。

NHKの大河ドラマ「琉球の風」の中の結婚シーンが撮影された場所でもあり、駐車場にその記念碑が建っている。

9.軍艦岩の荒波

自然の作り上げた芸術だ。打ち寄せる荒波に揉まれるその姿はまさに軍艦そのもの。

写真で見るより実際に実物を見ると、その大きさや迫力に圧倒される。

10.立神岩またの名チンチン岩

自然の作り上げた芸術その2荒波の中に凛とそびえるその姿は名前の通り、神々しさを感じてしまう。近くで見るとその大きさに驚く。

でも誰の目から見ても、オチンチンにも見えるよね?
そういう意味でも男性的!


11.魚市場にて

与那国島の朝は・・・とーっても遅い。久部良漁港でのこの風景はAm:9:00頃に撮影したものだ。

沖縄には「出刃包丁」がなく、大きな魚をさばくにも牛刀やナイフのような薄刃の包丁でするのだ。
カジキマグロなどの大物を解体するときはノコギリの出番なのだ。

12.与那国馬に乗りました

沖縄県の天然記念物に指定されているヨナグニウマ。一時は59頭まで数が減った。

見た目は頭でっかちで、間違っても「スマート」でないのだが、日本の在来馬の中では一番パワーがあって体重90kgの僕を軽々と運んでくれたのでした。

13.墓というより

祖納集落の程近く海岸沿いにある浦野墓地群は圧巻だ。

墓石の規模も八重山諸島の中でもずば抜けてデカく、個人の墓では八重山随一と言われる譜久山家の墓は家一軒ほどの大きさなのだ。

与那国には寺も葬儀屋もなく住民手作りの素晴らしい葬儀をする。 葬儀行列

14.Dr.コトー診療所

TVドラマでおなじみとなった「志木那島診療所」、長年の雨風に耐えてきた風格があるが、実はドラマ用のセットで、これでも新築なのだ。一躍、与那国をメジャーにしたドラマだ。

ドアをノックしてみてもコトー先生は出てきませんでした。
   

15.Dr.コトーの廃船

比川の浜に横たわる廃船は、Dr.コトー撮影用の廃船だが、島の風景に馴染んで10年も前からここにあるようだ。

この島は、世界最大の蛾の仲間「ヨナグニサン」の生息域でもある。


16.東崎(あがりざき)

西の「西崎」、東の「東崎」と言われる雄大な景勝地。付近は牧場になっており、人間が近づいても意に介さず牛や馬が悠々と草を食む。

彼らにとっては、僕らの方が部外者なので思わず、「おじゃまします」と言ってしまう。

17.与那国馬と灯台

よく晴れた日には彼方に西表島が望める。ここから眺める朝日は雄大で、とても清々しい気分になる。

でも日本列島で最西端に位置するこの島の夜明けは、日本で一番遅いのです。

18.天然芝

東崎の草原は天然芝だ。

南琉球には、風の強い岬にこんな風景が多いのだ。
背の高い樹木は風の勢いで成長しないらしい、なんとも牧歌的でのどかな風景だ。

彼方に見える海はどこまでも青い。

19.断崖絶壁

東シナ海の荒波が打ち寄せる数十メートルの断崖絶壁。
こんな男性的な風景が続くのが与那国島。

まさに「絶海の孤島」、一体いつからこの島に人が住んでいたのだろう・・

20.ウブドゥマイ浜

ウブドゥマイ浜は漢字で書くと「大泊浜」と書く。
東崎の西にあるこの浜は全長約500mもある浜だが、島の人は「泳いだら死ぬ」と言って誰も来ない。

2時間近く浜に居て、人間は僕らだけでした。


21.名も知らぬ遠き島より

名も知らぬ遠き島より流れ来る人形ひとつ、裏側を見てみたらMade in Chinaでした。

この島の漂流物は台湾・中国・フィリピン・韓国など、とても国際色豊かで、まるで海外旅行をしているようだ。

22.誰も来ません

この島は人口わずか1800人の小島だし、観光客もさすがにここまでは大勢で押しかけては来ないので、こんなことも出来るのです。

だーれも来ません。

23.子供だって

この島では子供だって三線を弾く。「与那国ションカネー」という名曲があるが、ちょっと聞いただけじゃ、その歌詞の意味は分からない。

この子達は、分かってるかな?

24.フェリーよなくに

石垣から与那国へ向かうフェリーは、荒波の外海を乗り越え、4時間半で両島を結ぶ。
船室では紙袋を持ち出し真っ青な顔をしたオバアが必ず2〜3人はいるのだ。もちろん嬉しそうにガイドブックを開いてニコニコしている人も大勢いる。
この船は今までにいったい何人の夢を運んだのだろう。

25.また来ます

楽しかった与那国の旅、頼りなさそうな飛行機だけど・・・・・・

帰りは飛行機で石垣島に帰ります。

また来ます。


竹富町や与那国町の島々は、何処に行っても人が居ない。
ラッシュアワーとか満員電車とか、信号待ちとかいった言葉は都会のもので、ここに流れる「てーどぅん(竹富)たいむ」は、そんな言葉を超越した異次元の世界を支配する不思議な時計なのだ。

この島々で生活すると、まるで浦島太郎のように時を忘れ、都会のザワメキや混沌が別世界のものに思えてくる。
この写真は「与那国小学校」の全生徒72名と教職員14名の集合写真だ。この純朴で明るい笑顔を見ていると、八重山の全てが伝わってくる。やはり八重山は南の楽園だ。

いつまでもこの安堵と平穏が八重山のものであるように。




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