10月の八重山

渡り鳥の季節

このページは、毎月1回、その月の八重山を紹介していく歳時記のページです。
不思議の国、八重山の歳時記は内地のそれとはちょっと違うのです。

【10月の八重山歳時記】

ツバメの来る秋

「ツバメ」は日本人なら誰もが知る渡り鳥で、春になると南の国から日本にやってきて泥の巣を作って子育てし、秋になるといなくなってしまう日本人にはおなじみの野鳥だ。
日本各地へのツバメの渡来日はと言うと、ツバメが鹿児島県に着くのが2月下旬〜3月上旬、関東には3月下旬〜4月上旬というのが平均なので、ツバメは春を告げる「春鳥」として知られている。
   
八重山にも、春に本土に渡る途中のツバメが2月初旬に現れ、ここから日本列島を9℃の等温線に沿って1日20Km〜30Km移動しながら本土に渡って行くのだが、春のツバメは八重山に渡りの途中に数日立ち寄るだけなので、あまり目立たず、八重山の人は春にツバメが来ることを案外知らず、この不思議の島に本格的にツバメが渡来するのは秋から冬にかけてなのだ。

夏に本土の各地で営巣して子育てを終えたツバメは、9月中旬〜10月下旬になると越冬地であるマレー半島・フィリピン・台湾・オーストラリアなどを目指して一斉に南の国へ帰っていく。
本土からツバメが一斉にいなくなるのは9月中旬〜10月下旬だ。このツバメたちが、それからどこへ行くのかと言うと・・・・実は、越冬地への長い旅の途中に八重山で羽を休めていくのだ。渡りツバメのなかには、フィリピンや台湾に行くのを止めてそのまま八重山で越冬するの横着なやつもいる。
渡りの時のツバメたちは、実に1日300q以上も移動するという。


9月下旬〜11月下旬の八重山はツバメの王国(渡りの途中なので、ほとんど営巣はせず、八重山人はツバメの泥の巣を見たことがない人が多い)この頃になると八重山では、「ツバメが来たから秋ですね」という不思議な会話が交わされるようになるのだ。


ミーニシ(新北風)

八重山でミーニシ(新北風)とよぶ北風が吹き始めるこの頃になると、毎年約2万羽の刺羽(サシバ:ワシタカ科、サシバ属)が日本からフィリピンに渡る途中に八重山諸島に飛来する。
サシバは中国で繁殖し、ミーニシに乗って、九州の佐多岬から越冬地のフィリピンやインドネシアまで数千Kmを旅するのだ。八重山はその長旅の中継地となり、時には何千羽にもなるサシバの乱舞が観られる。
サシバは、本土では「夏鳥」で、夏に本州、四国、九州へ飛来し、山中で繁殖し、9月末頃に本土を飛び立って10月初旬頃に石垣島に飛来するのだ。
他にも、アカハラダカ(鷹の仲間)、セイタカシギ、クサシギなどの渡り鳥が飛来する。最近では、希少種のクロツラヘラサギやコウノトリなど、普通ならこんなところに来るはずのない迷鳥まで観かけるようになった。

サシバの標識調査によると、宮古島で放鳥した標識鳥の多くはフィリピンで回収されているそうだが、その一部は西表島や石垣島でも越冬する。渡りの途中にはぐれた「迷い鷹」や負傷して群れから外れた「落ち鷹」と呼ばれるサシバで、翌年の春まで八重山で越冬するのだ。
僕の親しい落ち鷹くんは、いつも野底栄の畑のスプリンクラーや電線に停まっていて、近くを通ると、。「ピィー!」という甲高い声で啼く。

このミーニシは、10月初旬から吹き始め、これが吹き始めると八重山は急速に秋の気配を深めていく。
  


厳しかった夏、でも、八重山の空はもうすっかり秋空で、空が急に高く感じられるようになった。秋の雲「いわし雲」は、夏の入道雲(積乱雲)とは違って、薄くちぎれて八重山の空高くに浮かぶのだ。



この季節になると食いしん坊の僕は、きまって脂ののった秋サンマが食べたくなり、サンマを食べると、これもまた、バプロフの犬のように和歌山産まれの詩人、佐藤春夫の「秋刀魚の歌」が口に出る。

     

        秋刀魚の歌 −佐藤春夫−


  あはれ秋風よ 情(こころ)あらば伝へてよ
  男ありて今日の夕餉(ゆうげ)にひとり さんまを食(くら)ひて思ひにふけると。

  さんま、さんま、
  そが上に青き蜜柑(みかん)の酸(す)をしたたらせてさんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
  そのならひを あやしみ なつかしみて女はいくたびか青き蜜柑をもぎ来て夕げにむかひけむ。
  あはれ、人に捨てられんとする人妻と妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
  愛うすき父を持ちし女の児は小さき箸をあやつりなやみつつ 父ならぬ男にさんまの腸(はら)をくれむ
  と言ふにあらずや。

  あはれ秋風よ 汝(なれ)こそは見つらめ世のつねならぬ団欒(だんらん)まどゐを。
  いかに秋風よ いとせめて証(あかし)せよ かのひとときの団欒まどゐ ゆめに非ずと。

  あはれ秋風よ 情(こころ)あらば伝へてよ、
  夫を失はざりし妻と父を失はざりし幼児をさなごとに伝へてよ
  男ありて 今日の夕げにひとりさんまを食ひて涙をながすと。

  さんま、さんま、さんま苦いか塩っぱいか。
  そが上に熱き涙をしたたらせてさんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
  あはれげにそは問はまほしくをかし。


佐藤春夫という詩人は、ラジオの生収録中に「私は幸いにして……」という言葉を発した直後に心筋梗塞を起こし、そのまま死亡したという伝説の詩人だ。彼は、「私は幸いにして体だけは丈夫」と言おうとしたのか、「私は幸いにしてさほどお金に困っていない」と言おうとしたか、はたまた「私は幸いにして人間に生れてきた」と言おうとしたのか?
青き蜜柑の酸(す)と言うのは酢橘(すだち)のことだろうか、それとも本物の蜜柑のことだろうか、はたまたシークゥワーサーのことだろうか?


秋には、数年前から八重山のスーパーにも三陸の生サンマが入荷するようになり、冷凍よりはずいぶんマシなサンマが食べられるようになったが、産地で食べるものと、石垣島のスーパーに流れてくるものとは根本的に品質が違うのだ。一級品は、東京などの都会や産地にしか出回らず、日本の端っこのスーパーにまでは回ってこない。

これは何もサンマに限ったことでなく、鳥取の梨も茨城の栗も長野のリンゴも愛媛のミカンも徳島の酢橘も丹波のマツタケも広島のカキも、産地の一級品を産地で食せば、八重山のスーパーのそれよりは数倍も美味い。

秋になると、僕は、そんな食の妄想に駆られ、一級品を扱えぬ沖縄のスーパーと日本の物流の仕組みにとても悔しい思いをする。



冬のホタル

八重山の秋の楽しみのひとつは冬のホタルです。

オオシママドボタル」という日本最大種のこのホタルは、これから来年1月初旬にかけてが見ごろという冬のホタル、八重山のクリスマスはイルミネーションの代わりにホタルの光りだ。
このホタルの大きさは、1.5〜2cmもあって、ほとんど点滅せず、大きな緑色の光で山の潅木の繁みのなかや高い梢の上を実に悠々と飛翔していく。
そっと手に取るとゲンジボタルの2倍くらいの灯りで光る。僕は、このホタルを越年飼育したことがあり、生態にはとっても詳しい。
石垣島では9月中旬から1月中旬まで、このホタルを観ることができるが、その棲息地は、世界中で石垣島・西表島・小浜島と黒島の一部という限られた地域だけだ。

「ホタルは自然のバロメーター」という標語があるが、コイツが健全なうちは、まだまだ八重山の自然は大丈夫だ。

オオシママドボタル
体長約1.5cm 日本最大のホタル

秋から翌年にかけての冬のホタル
オオシママドボタルは点滅せず、目の前をフワ〜と緩やかに飛んでいきます



10月の八重山の行事
「節祭(シチィ)」10月〜11月(旧暦9月〜10月)
場所:各地
節祭、節変わり、年の変わり目、年の折り目を祝う祭りのことで、正月を意味している。
■3日間にわたって無病息災、五穀豊穣などを祈願する西表島祖納地区の節祭は、「国指定民俗文化財」として登録されている。



不思議の邦八重山の10月のお話です。