八重山人(やいまんちゅ)がもっとも恐れるもの、それは「台風」だ。
過去に八重山地方を襲った台風の中で最も強かった台風1977年の台風第5号(ベラ)は、台風に慣れているはずの八重山の島人(しまんちゅ)たちを驚かせた。
1977年台風第5号(ベラ)は、中心気圧925HPa.最大風速55m/s.の猛烈な台風に成長して、1977年7月31日の明け方に石垣島に襲来した。
石垣島地方気象台で観測された最大風速は53.0m/s.瞬間最大風速70.2m/s.は、石垣島地方気象台の観測開始(1897年)以来、最も強い記録となり、死者6名、住家全壊97戸、住家の半壊283戸、住家の床上浸水157戸、床下浸水145戸、車の転覆24台、船舶の破損52隻という被害を出した。
この上陸時925HPa.という気圧は、過去に日本を襲った(気象庁の統計開始後)最大の台風「第二室戸台風:1961年9月16日」と同じ気圧で、八重山の被害が比較的少なかったのは、八重山の人口が少なかったことと、八重山人が台風に慣れていただけだ。
過去の台風で二番目に大きかったものは、記憶に新しい2006年9月16日の未明に八重山を襲った平成18年第13号台風で、中心気圧925HPa、瞬間最大風速約67m/s、この台風は、Am3:00頃に台風の目が石垣島を直撃し、西表島と石垣島の間を通過して行った。
瞬間最大風速約67m/sと言うが、この時には、石垣島気象台の風速計が壊れて正確な風速が計れなかっただけで、果たして本当に史上2位の台風か、史上最大の台風かは分からない。
台風は赤道付近の海洋で主に発生する。
海面水温が高い赤道付近熱帯海上には海からの上昇気流が発生しやすく、上昇気流の影響で発生した積乱雲(入道雲)が渦を作るようになって中心の気圧が下がり、それが熱帯低気圧となり台風に発達するのだ。
台風は上空の風に流されて移動し、地球の自転の影響で北へ向かう性質を持っているので、東風が吹いている低緯度では台風は西へ流されながら次第に北上し、上空で強い西風(偏西風)が吹いている中・高緯度に来ると台風は北東へ進路を変えて速い速度で日本本土のほうに向かって進んでいく。
低緯度地域の八重山には偏西風は吹かないので、八重山に襲来する台風は、主に東南からゆっくりと勢力を拡大しながらやって来るのだ。フィリピン沖に小型の台風が発生したかと思っていると、一週間後に八重山にたどりついた頃には、とてつもない大型に成長していることもある。
台風に慣れた八重山人(やいまんちゅ)は、天気予報を見ながら1日前になると「台風対策」と称して風で飛びそうなものを縄で縛ったり、戸を釘で打ちつけたり、雨戸を閉めたりするが、ぎりぎりまでは普通に生活し、台風が去るとすぐにまた普通の生活を始める。
ときどき親戚の叔父さんが訪ねてくるのを迎えるように、それはまるで日常の一環であって、とりたてて驚くようなものではないのだ。
でも、台風も「瞬間最大風速67m」となると、さすがにもうイケマセン。
※1977年の台風5号(ベラ)の最大瞬間風速70.2m、925Hps.と同規模の2006年台風第13号 |
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2006年9月16日の台風13号
925Hps.瞬間最大風速70m
2006年9月16日Am3:00頃に石垣島を直撃(台風の目が西表島と石垣島の間を通過)した。 |
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町中の信号機は壊滅状態で、電線が垂れ下がって火花をちらしており、島の大半は停電している。
ヤエヤマヤシの街路樹や福木、デイゴの巨木などもあちこちで倒壊して道路を塞いでいるし、駐車中の軽四自動車などは風にあおられて横転して壊れているのだ。石垣市内の防犯灯1590基のうち4割程度が全壊あるいは一部損壊し、60人が重軽傷を負った他、市内の18,000世帯以上で停電した。
市街地でさえこの有様だから、風を遮るもののない島の北部はもうムチャクチャ・・・。サトウキビや牧畜農家の被害は計り知れなかったし、原状回復には相当の期間と費用がかかった。
台風が通過して半日経っても、石垣市の大半の世帯は停電中でスーパーマーケットも開いておらず、街の小規模商店からは食材や電池が消えうせていて、市民は水や電池を求めて走り回っているのだ。
台風と沖縄は切っても切れない深い仲だが、こんなのが来るとなれば、(僕は買えないけど)風の強い海の見える岬の端の小洒落た木造の一軒家なんかには住みたくなくなってしまう。
琉球王朝の時代から、沖縄の文化は台風抜きには語れない。沖縄の民家が平屋建なのも、沖縄ではサトウキビが最大の農産物であることも、あるいは、八重山人(やいまんちゅ)の気質がおおらかであることも、みんなみんな、気まぐれで人知を超えたこんな台風と長年付き合ってきた産物なのだ。
いくら熱心に畑を作っても、台風が来ればみんなパーになる、ジタバタしても仕方がない。
鷹揚(おうよう)に構えないとやってられないし、自然の産物である台風相手に怒ってみても仕方のないことだ。
かくして、八重山人(やいまんちゅ)は怒ることを徐々に忘れ、働き過ぎることを止めたのだろうと、僕はかってに理解している(*^_^*)
こんな風土が八重山人(やいまんちゅ)を作る。
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