「石垣島鍾乳洞」は、日本最南端の観光鍾乳洞、もともとは「竜宮城鍾乳洞」と呼ばれていたが、洞の土地の所有者が2002年に「石垣島鍾乳洞」に改称した。 正式な洞名としては、この地域の旧称マリヤから「マリヤイザー(イザー/沖縄方言で洞窟のこと)」または「マリアイザー」と呼ぶのが正しいのだろう。 もともと、鍾乳洞(しょうにゅうどう)はというのは、石灰洞(せっかいどう)とも呼ばれ、石灰岩が酸性の雨水や地下水などに侵食されてできた洞窟のことだ。 古生代から中生代に形成された石灰岩の多くは太平洋中の生物礁(サンゴ礁)が起源で、海洋プレートの移動とともに日本列島にたどり着いたもので、それが日本各地に点在する「カルスト地形」を形成している。 ところが、新生代新第三紀〜第四紀(現在)の新しい石灰岩は、おもに隆起サンゴ礁として南西諸島に分布する。言わば、南西諸島(八重山諸島も含む)こそが日本の鍾乳洞の故郷のようなものだ。 珊瑚礁の島である沖縄県の土質は、「島尻マージ」と呼ばれる主にサンゴ(石灰岩)の礫が中心のものだから、沖縄県の鍾乳洞の多さは日本一で、この小さな石垣島だけで実に大小19箇所の鍾乳洞がある。 ■「大小19箇所」としたが、20u以下の鍾乳洞は島内には無数にあり、それらを含めると30〜50箇所強あるだろう。
「石垣島鍾乳洞」は、公称全長3,200mと言われ、石垣島では一番大きな鍾乳洞だ。しかしこの数字は、昭和48年に行われた「愛媛大学学術探検部」の調査時に同大学から発表された数字で、以後、本格的な調査が行なわれたことがないので、本当の洞の長さは未知数だ。 現に、僕は、この鍾乳洞の奥部にある数10cmの開口部の先をくぐって、その奥にさらに広い未発見の洞を見つけたこともあり、そんな箇所はこの鍾乳洞には何箇所もあるのだ。 これらの部分は「公称全長3,200m」以外の部分だから、時間をかけてまともに調査すれば、この洞の実全長が5,000mを超えるということも充分にあり得るだろう。仮に実全長が5,000mを越えれば「日本第2〜3位の(長さの)鍾乳洞」になるのだ。 沖縄人は正直な性格なので、この洞のパンフレットには、わざわざ「日本第七位の(長さの)鍾乳洞」と書いてある。このパンフレットの前身にあたるものは僕が依頼を受けて作ったが、僕が「日本一(綺麗)」と書いた原稿を見せると、安慶田さんという当時の鍾乳洞の責任者は、「やっぱり正直に日本第七位(の長さ)と書いてくれ。」と真顔で言った。 僕がパンフレットを作った当時(平成13年)には全長3,200mという長さは「日本第七位」と言われていたのだが、その後の他の洞の測り直しにより、今では「全国13位」に後退したようだ。 鍾乳洞の長さなどというものは、測り直せばいくらでも変わる。現在、国内の鍾乳洞延長のベスト10と言われているものは次のとおりだ。
「石垣島鍾乳洞」は、内部で複雑に洞が絡み合っており、洞内を流れる水は、バンナ岳を水源とし海に達しているとも言われており、隣にある「八重山鍾乳洞」とも洞の内部では繋がっているのだから、この長さを足せば、現状でも堂々5,000mは超える実に立派な鍾乳洞なのだ。 この鍾乳洞の最大の特徴は、鍾乳石の成長が早いということだ。 鍾乳石は炭酸カルシウムを主成分とした炭酸塩堆積物で、結晶成長速度が比較的遅いため、通常は「1cm伸びるのに200〜500年かかる」と言われるものが、この洞では10倍の速さで成長している。同じ愛媛大学学術探検部の調査によって世に出た南大東島の「星野洞」と並び、日本一、鍾乳石の成長が早い洞と言える。
この鍾乳洞は、成長しつつある真新しい鍾乳石の原石を、つぶさに観ることができる貴重な鍾乳洞で、洞内の酸化が進んでないうえ、入洞者が少ないのであまり汚れていない。鍾乳石は、入洞者の呼吸に含まれる二酸化炭素によって酸化して徐々に黒ずんでいく。 この洞の鍾乳石が白く綺麗なのは、開洞後20年ほどしか経っておらず、しかも、内地の名の売れた観光鍾乳洞と比べれば入洞者が圧倒的に少ないので、この洞はまだまだ人の手で汚されていないということなのだ。
「石垣島鍾乳洞」は、日本一綺麗だと言われる山口県の「秋芳洞」と比べても、けっして見劣りすることはない。 八重山人(やいまんちゅ)は、他のものを知らず「比べる」ということに劣っているので、いまひとつこの洞の値打ちに疎い(ウトイ)ようだが、僕自身は、個人的には「秋芳洞」よりも好きな鍾乳洞で、「日本一の鍾乳洞」と言って過言ではないと思っており、この鍾乳洞を観る目的で観光客が石垣島にやってきても不思議ではないと思う。 ゆっくり周って約40分の洞窟探検、洞窟だから、夜でも、外が雨でも関係ない楽しい島遊びです。 |