八重山博物館

石垣市立八重山博物館は、市内の中心部、石垣市登野城4−1(八重山郵便局東)にある。

日本の歴史では「縄文〜弥生時代」と呼ばれる石器時代、だが、縄文〜弥生文化は沖縄にはあまり伝播せず、ことに宮古・八重山諸島にはまったく伝わらなかった。
宮古・八重山諸島には日本文化の根源となった「縄文〜弥生時代」そのものが存在せず、日本とも琉球ともまったく異質の文化が根付いた。日本(大和)には、中国大陸から2,300年前に稲作が伝えられ農耕集落生活が始められた。「弥生時代」の始まりである。農耕は九州から始まり、日本列島に広がっていったが、北海道と沖縄には及ばなかった。農耕の始まりと同時に、銅や鉄などを加工した金属器を使う技術も、この頃に日本(大和)に伝わった。

ところが、宮古・八重山諸島で日本で言う「農耕集落生活」が始まり、ようよう弥生時代なみの生活が始まったのは13世紀頃だと言われる。
13世紀と言えば日本は鎌倉時代で、源義経が平家と戦を繰り返していたあの頃まで、八重山では日本の縄文時代並みの狩猟生活が営まれており、この時代にはまだ鉄器すら八重山には存在しなかったのだ。
その意味では、八重山の歴史と日本の歴史との間には900〜1,000年のズレがある。

司馬遼太郎は「街道をゆく」の中でこんなことを書いている。
「すぐには信じられがたいことかもしれないが、八重山諸島では17世紀まで石器、木器の時代が続いていた。この事実を、冷静に知的にそして濁りのない情緒で把握しなければ、現代にいたるまでの沖縄史と、沖縄問題の本質をとらえぞこねるのではないかと思える。」
これは何も八重山の文化が日本より1,000年「遅れている」ということではない。歴史の進み方、文化の伝播の仕方が、日本のそれとはまったく「違う」というだけのことなのだ。

なんとこの弥生土器のような壺は16〜18世紀のものだ


そんな八重山の歴史や風俗を知るには、ここが一番、じっくり観て周れば必ず楽しい発見に出会います。

開館時間 09:00-17:00(入館は16:30まで)
休館日   毎週月曜日(月曜日が祝祭日の場合は翌日まで)・祝祭日・年末年始(12月29日〜1月3日)





八重山博物館の展示物