 |

琉舞 竹富島の「種取祭」の舞
八重山は「唄と芸能の宝庫」と言われ、島人の暮らしの中には、ごく普通に唄や踊りが息づいている。
嬉しいときも悲しいときも島人の傍らにはいつも島唄があったのだ。
結婚、出産、家の新築、豊作、豊漁、プーリー(豊年祭)だといっては集い、泡盛を酌み交わし三線の伴奏で島唄を唄う。
三線を弾く手も速くなれば誰からともなく手拭でハチマキし、掌を天に向けカチャーシー(即興の踊り)が始まる。
宴の輪の中には、必ずオジーやオバーの元気な姿がある。
こうして代々唄い継がれてきた八重山の島唄からは、強く優しく生きる八重山人(やいまんちゅ−)の魂までもが感じられるのだ。

八重山人たちは、唄や芸能をただの「遊び」とはとらえていない。
それはまさに彼らの生きる糧のひとつなのだろう。
そこには、島唄のひとつも唄えないようなヤツは島人(しまんちゅ)とは認めない、という強い意志すら感じるのだ。
沖縄には、本土の三味線とはちょっと違う棹の短い三線(サンシン)と呼ばれる独特の楽器が伝わっている。

この三線は、基本的には蛇(現在は輸入物のアミメニシキヘビ)の皮が張られていて、猫の皮を張る内地の三味線とは音色も趣も異なる。
三線は、もともと中国の三絃(さんしん)に由来し、14世紀末期に琉球に伝来して三線(さんしん)となり、1562年(永禄5年)に堺商人によって日本(やまと)に渡って、琵琶法師により改良されて今の日本の三味線の原型になったという。
三味線は日本で急速に普及し、さらに改良を施され日本の近世を代表する楽器、「三味線(しゃみせん)」になったのだ。



中国の床の間には硯と墨と筆が置いてあるが、日本(ヤマト)の床の間には刀掛けに大小二振りの刀を飾る。沖縄では、床の間に三線二丁(一対のもの)を三線箱に入れて飾っていたのだ。

これは「飾り三線」と呼ばれ、その家の主人が芸能に理解のあるという証であるとともに、その家の経済的なゆとりを示していたと言われる。
「文」を重視した中国、「武」を重視した大和(日本)、「芸」に重きを置く琉球の其々のお国柄が出ていて面白い。
こんな三線は、昔は蛇皮で造られていた、蛇皮は高価で庶民には高嶺の花、蛇皮の代わりに胴に渋紙を張った三線が多く、蛇皮張りの三線がある家は経済的にゆとりのあるとされた。
八重山では、経済的に苦しい時には先ず不動産を売り、次に墓を売り、最後に家伝の三線を売るというほど三線は大切にされた。刀は武士の魂と言われるが、三線は八重山人(やいまんちゅー)の魂のようなものだ。
八重山は正しく「唄と芸能の島」なのだ。
※下の青いところをクリックすると音楽が聴けます
音が出ますので、職場で見ている人は要注意(*^_^*) |
沖縄を代表する三線歌「てぃんさぐぬ花」は、俗に言う教訓歌というもので、親から子へ、老人から若者へという連鎖のなかで教訓として唄い継がれた曲で、こうした唄は沖縄にはとても多い。
八重山の民謡「安里屋ゆんた」は、八重山の郷土史家だった喜舎場永が、琉球民謡を内地の人に分かりやすく紹介しようという意図で作った歌で、いまや沖縄民謡というより全国的な愛唱歌となった。
石垣島の民謡「月ぬ美しゃ」は、八重山を代表する子守唄で、叙情性に富むすばらしい名曲だ。 |
|
|