8月の八重山



アンガマーの夜このページは、毎月1回、その月の八重山を紹介していく歳時記のページです。
不思議の国、八重山の歳時記は内地のそれとはちょっと違うのです。

【8月の八重山歳時記】


「アンガマー」というのは、八重山の旧盆行事のことだ。
八重山の旧盆(旧暦7月13日から16日未明)の最後の夜、石垣の市街地では賑やかな三線の音がどこからか聴こえてくる。三線の音色を頼りに探してゆくと、花笠に白い覆面をして三線を弾きながら練り歩く20〜30人の不思議な風体の集団に出会う。
これが八重山の旧盆行事“アンガマ−”だ。

このアンガマ−は、グショー(後世/あの世)から来訪した精霊の一行で、ウシュマイ(お爺)とウミー(お婆)が、子孫(ファーマー)と呼ぶ花子たちを連れて現世に現れ家々を訪問、珍問答や踊りなどで祖先の霊を供養するという八重山独特の旧盆行事だ。
クバ(ビロー樹)で作った扇を手にしたウシュマイ(お爺)とウミー(お婆)が、独特の裏声の八重山方言で観客たちと珍問答をしながら家庭やホテルなどを周る。

「ソーロン(祖霊)アンガマ−」とも呼ぶこの不思議で、どことなく滑稽な旧盆の伝統行事は、この南の島の独特の文化がいったいどこからやってきたものなのかを考えるうえで欠かせないもののひとつだ。

ソーロンとは八重山のことばで「お盆」のこと。「精霊」または「祖霊」から転じて「ソーロン」となったもので、盆に迎える祖先の霊のことだ。
八重山のお盆も、内地のお盆と同様に、迎え火を焚き、祖先の霊を迎えることに変わりはないが、そこはそれ、なんと言っても八重山のことだから、内地のものとはちょっと違うのだ。


ソーロンは、旧暦7月13日〜15日、本土の旧盆時期と一致しており、八重山の旧盆行事の風習は日本(大和)から伝わったと考えられるが、それが八重山諸島に何時ごろ伝承されたものなのかは、よく分かっていない。アンガマ−という独特の風習の起源自体も実は明らかではない。

  

アンガマーで歌われる歌には、念仏や供養の歌が多く、沖縄本島のエイサーと同じように日本から渡来した念仏踊りを起源とし、これに八重山独自の踊りや風習が結びついたと考えるのが自然だ。
覆面踊りは、日本各地の盆踊りにもみられたもので、もともとは時の施政者に反抗して覆面で、施政者を皮肉ったりしたのが始まりで、祭りのことなので、少々は大目に見てくれたのだろう。
八重山のアンガマーは、念仏歌とともに、日本の盆踊りと相通じるものがあるようだ。八重山のアンガマーの花子たちが手拭マスクとサングラスで覆面しているのも同じ理由からだろう。


山形の花笠踊りのような衣装がいったいどこから渡来したものかということは明らかではないし、ウシュマイ(お爺)とウミー(お婆)のアンガマー面の由来も明らかではない。
   山形花笠踊り     石垣島アンガマー


しかし、東南アジアやメラネシアとの関係が指摘されているマユンガナシ面(川平)と同様に、このウシュマイとウミーの面も、中国雲南省などの南方モンゴル系の人たちの間や東南アジア諸国に、八重山のアンガマー面と瓜二つのものが伝わっているのだ。


中国の雲南省などに住んでいる少数民族、ミャオ(苗)族の人口は約894万人、彼らは、今は主に貴州省、雲南省、四川省、広西チワン族自治区、湖南省、湖北省、広東省などに住んでおり、中国では長い歴史をもつ民族の一つだ。
ミャオ族には、昔、数百人の男女が日本に渡ったという伝説があるそうだが、彼らに伝わる仮面は、まさに石垣島のアンガマー面と瓜二つと言ってもいい。
このミャオ族に伝わる祭礼面は、誰が見ても、口や目の形、ウシュマイの歯、髪の結い方や素材、なにもかもアンガマー面とそっくりで・・・・何らかの文化的交流なしには、とてものことに、こんな似通ったものは造れない。
どちらが真似たのかは別にして、遠く中国の雲南省と八重山とが古い時代に深い文化的交流、あるいは人的交流を持つことは確実だと思う。

雲南のミャオ族の面 石垣島のアンガマ−面

もしかしたら、ミャオ族に伝わる伝説のとおり、ミャオ族の数百人の男女が日本に渡」り、彼らが八重山人(やいまんちゅ)の祖先の一部なのかもしれないね。


このアンガマーにかかわらず、八重山にはこんな出所不明の奇妙な仮面神が多い。

川平のマユンガナシ(真世加郡志または真世加那志)

マユンガナシ (真世加那志)は、 旧暦9月10日に石垣市の川平で行われる行事だ。
夜更けから翌朝にかけ、来訪神マユンガナシが川平の家々を周って五穀豊饒や家内繁昌を予祝していく。蓑笠をかぶり、長杖を持った川平のマユンガナシの来訪は、各戸数十分にもわたって神言を唱えて周る。
この祭りの由来は、川平の北の海で遭難して上陸した身なりがみすぼらしい旅人が川平で一夜の宿を乞うたところ、ほとんどの家に断られ、快く泊めてくれた1軒の家が、その後繁栄し、実は、旅人は神だったという弘法大師伝説とよく似た話であるが、どちらにせよ、神は遭難した外国人なのだ。
この衣装からみると、彼はおそらく東南アジア文化圏から来た海難者なのだろう。

このマユンガナシは、各戸を周って家長より饗応を受け、豊饒を言祝ぎ、また農事の心得を伝える神言を唱えるのだが、家長がマユンガナシに礼の言葉をかけてもマユンガナシは「ンフン」という返事以外には一切口にしない。
多分、マユンガナシは外国人だから日本語が解らないので「ンフン」でゴマカシているんだね(*^_^*)
小浜島のダートゥダ

小浜島のダートゥ−ダは狂言面の類だ。
これも来訪神で、はるかな南の島からやってくる神である。



中国と琉球(沖縄)との関係は、当然のことながら日本と琉球(沖縄)との関係より深く、1373年以降、「一年一貢(1年に一度、貢物を積んだ使節を中国に派遣すること)」または「二年一貢」の中国訪問という形で明治7年まで琉球と中国との親密な交流が続いていた。
琉球の歴史のなかで、日本の権力が侵入してくるのは、やっと1609年のことで、薩摩の島津藩による「琉球侵攻」である。
このとき、琉球に送られた島津藩の兵士の数は3,000人と言われるが、戦の苦手な琉球人は、3,000人程度の兵力の前に、わずか3日の首里城攻防戦で首里城を島津藩に明け渡し、以後、琉球は日本の属国となった。

こうしてみると、この島はやっぱり「中国の隣国」であり「東南アジアの入口」にあたる街なのだ。

   
どことなく怪しげな得体の知れないアンガマーではあるが・・・・・、とにもかくにも八重山では、これがなくてはお盆にならない。

不思議の邦、八重山の8月の夜は、三線と「アンガマー」の陽気な歌声とともに賑やかに更けていくのです。
(旧暦7月13日〜15日の旧盆)先祖を迎え入れる伝統行事。期間中の夜に市街地を歩くと、三線の賑やかな音と共に、アンガマー舞踊や獅子舞を見かけることができます。“アンガマ”とは、あの世からの使者であるウシュマイ(お爺)とウミー(お婆)が花子(ファーマー)と呼ばれる子孫を連れて現世に現れ、家々を訪問し、あの世とこの世の珍問答や踊りで祖先の霊を供養する独特の行事です。


8月の八重山の楽しみは、なんたって「海」 こんなきれいなところもあります。(石西礁湖−浜島)


不思議の国八重山の8月のお話です。