宮良殿内(みやら どぅんち)

宮良殿内(みやらどぅんち)というのは、代々八重山の頭職(かしらしょく)を勤めた宮良家に対する尊称だ。親方(うぇーかた)と地頭職にある親雲上(ぺーくみー)の邸宅は殿内(どぅんち)と呼ばれ、その家柄を言う場合には、一般に宮良殿内とか儀間殿内とかいう言い方をした。

宮良家には、王府の八重山支配の実態や八重山の行政をを知ることが出来る「宮良文庫」と呼ばれる古文書が伝わっていて、これを読むと王府時代の八重山人(やいまんちゅ)の暮らしを垣間見ることができて興味深い。

この屋敷は、1819年に八重山頭職の宮良親雲上当演(みやら・ぺーちん・とうえん)の時代に建造された首里の貴族屋敷をまねた建築で、現在は国指定の文化財だ。

親雲上(ぺーちん)
琉球の士族は、一般に親雲上(ぺーちん)と呼ばれたが、その中でも采地を賜った者、地頭職にある者は親雲上(ぺーくみー)と発音して区別された。
古くは「大やくもい」と称し、役職に就いた者を指していたようである。「もい」は一種の敬称で、親雲上とは「大やくもい」の当て字であると言われている。

王府時代の建築には、階級や制度による厳しい規格があり、八重山の頭職がこのように豪華な家屋敷を構えるのは違法であるとして、5回にわたって首里王府から取り壌しを命じられたが宮良家はこれに従わず、1874年(尚泰27年)、ようよう検使によって茅葺きに改められたが、明治の廃藩置県後に、また現在の本瓦葺きに戻され現在に至っている。
屋敷の周囲を石垣で囲い、東南面に表門(四脚門)を設け、前庭と中庭を配し東側に庭園を築く。建物は木造平屋建てで周囲に雨端がある。庭園には琉球石灰岩の巨石で作った枯山水を配し、琉球庭園の特徴を備えた造りで、城間親雲工の作と伝えられる。


※このオジイは八重山の歴史については生き字引、「写真を残すのがイヤ」と 言って普通は撮らせない。この写真は貴重な一枚だ。「頭職(かしらしょく)」と呼ばれた琉球王朝時代の八重山最高職官僚の子孫、宮良当智さん。 とても元気な88歳。