八重山の不思議な盆踊り? アンガマー

八重山の旧盆(旧暦7月13日から16日未明)の最後の夜、石垣の市街地では賑やかな三線の音がどこからか聴こえてくる。三線の音色を頼りに探してゆくと、三線を弾きながら練り歩く20〜30人の不思議な集団に出会う。
これが八重山の旧盆行事“アンガマ−”の行列だ。


このアンガマ−は、あの世からの使者であるウシュマイ(お爺)とウミー(お婆)が子孫(ファーマー)と呼ばれる花子を連れて現世に現れ、石垣島の家々を訪問、珍問答や踊りなどで祖先の霊を供養するという八重山独特の旧盆行事だ。
「ソーロン(祖霊)アンガマ−」とも呼ぶこの不思議で、どことなく滑稽な旧盆の伝統行事をご紹介。


   

街を練り歩くアンガマ−隊 花笠にサングラスと覆面という南の島に似合わぬ怪しい出で立ちで・・・

三線を弾きながら街を練り歩くアンガマ−隊。
列の後には子孫(ファーマー)と呼ばれる花子たち、なぜか、みんなマスクとサングラスで顔を隠し、なかなか怪しい行列なのです。
八重山人は恥ずかしがり屋なのか覆面をして顔を隠し、冠っているのは「花笠」、これが本当に八重山の伝統衣装なのかどうかは・・・とても疑問?


アンガマ−隊の隊長はウシュマイ(お爺)とウミー(お婆)、後に続くのが子孫(ファーマー)たちだ。


   


クバ(びろう樹)で作った扇を手にしたウシュマイ(お爺)とウミー(お婆)が、独特の裏声の八重山方言で観客たちと珍問答や踊りをしながら、石垣島の家庭やホテルなどを夜遅くまで周る。




      


どことなく怪しげな得体の知れないアンガマーだが・・・・・、とにもかくにも石垣島では、これがなくてはお盆にならない。盆踊りのような日本の行事はこの島にはないのだ。エイサーはあるけどね。


家に着くと観客との珍問答の始まりだ。


観客の問 : 「オジイはどうやってあの世から来たの?」

ウシュマイ : 「どうやってたって・・・婆さん、どうだっけ」

ンミー : 「そりゃJTAに乗って来たに決まってるじゃないか」



かくして、怪しげで楽しい八重山のアンガマ−の一行は三線の音色とともに石垣島を練り歩き、今年の旧盆も無事に終了したのです。


「アンガマ−」のウンチク
八重山のアンガマ−には、旧盆のソーロンアンガマの他に、節アンガマ、家造りアンガマ、三十三年忌のアンガマ−があり、一般的にアンガマ−というと、ソーロンアンガマ−のことを指す。
ソーロンとは八重山のことばで「お盆」のこと。「精霊」または「祖霊」から転じて「ソーロン」となったもので、盆に迎える祖先の霊のことだ。


ソーロンは、旧暦7月13日〜15日、本土の旧盆時期と一致しており、八重山の旧盆行事の風習は日本(大和)から伝わったと考えられているが、それが八重山諸島にいつ伝承されたのかは、よく分かっていない。アンガマ−の起源や語源も明らかではないようだ。

アンガマ−の語源については諸説があり、
@姉という意味
A覆面のことを指す言葉
B踊りの種類を指す
C懐かしい母親の意味
D精霊とともに出てくる無縁仏
などと伝わっているが、これも真実は明らかではない。柳田国男によると「アン、アム」は母親、「ガマ」は小の意味であるため、お母さんというような愛称ではないかとのことだ。


アンガマーで歌われる歌には、念仏や供養の歌が多く、沖縄本島のエイサーと同じように日本から渡来した「念仏踊り」を起源とし、これに八重山独自の踊りや風習が結びついたと考えるのが自然だ。
覆面踊りは、日本各地の盆踊りにもみられたもので、もともとは時の施政者に反抗して、覆面で、施政者を皮肉ったりしたのが始まりで、祭りのことなので、権力の側も大目に見てくれたのだろう。
八重山のアンガマーの子孫(ファーマー)たちが手拭マスクとサングラスで覆面しているのも同じ理由だろう。そんなことで、八重山のアンガマーは、念仏歌とともに、日本の盆踊りと相通じるものがあるように思う。

ソーロン(祖霊)アンガマ−」とも呼ぶこの不思議で、どことなく滑稽な旧盆の伝統行事は、この南の島の独特の文化がいったいどこからやってきたものなのかを考えるうえで欠かせないもののひとつだ。


ソーロンとは八重山のことばで「お盆」のこと。「精霊」または「祖霊」から転じて「ソーロン」となったもので、盆に迎える祖先の霊のことだ。
八重山のお盆も、内地のお盆と同様に迎え火を焚き、祖先の霊を迎えることに変わりはないが、そこはそれ、なんと言っても八重山のことだから、内地のものとはちょっと違うのだ。




  


また、山形の花笠踊りのような、普段は八重山で着られることのない衣装がいったいどこから渡来したものかということは明らかではないし、ウシュマイ(お爺)とウミー(お婆)のアンガマー面の由来も明らかではない。
     山形花笠踊り


東南アジアやメラネシアとの関係が指摘されているマユンガナシ面(川平)と同様に、このウシュマイとウミーの面も、中国雲南省などの南方モンゴル系の人たちの間や東南アジア諸国に、八重山のアンガマー面と瓜二つのものが伝わっているのだ。


中国の雲南省などに住んでいる少数民族、ミャオ(苗)族の人口は約894万人。
彼らは、今は主に貴州省、雲南省、四川省、広西チワン族自治区、湖南省、湖北省、広東省などに住んでおり、中国では長い歴史をもつ民族の一つだ。
ミャオ族には、昔、数百人の男女が日本に渡ったという伝説があるそうだが、彼らに伝わる仮面は、まさに石垣島のアンガマー面と瓜二つと言ってもいい。
このミャオ族に伝わる祭礼面は、誰が見ても、口や目の形、ウシュマイの歯、髪の結い方や素材、なにもかもアンガマー面とそっくりで・・・・何らかの文化的交流なしには、とてものことに、こんな似通ったものは造れない。

雲南のミャオ族の面 石垣島のアンガマ−面(八重山博物館蔵)

どちらが真似たのかは別にして、遠く中国の雲南省と八重山とが古い時代に深い文化的交流、あるいは人的交流を持つことは確実だと思う。もしかしたら、ミャオ族に伝わる伝説のとおり、ミャオ族の数百人の男女が日本に渡」り、彼らが八重山人(やいまんちゅ)の祖先の一部なのかもしれない。


アンガマーにかかわらず、八重山にはこんな奇妙な仮面神がとても多い。

川平のマユンガナシ(真世加郡志)

マユンガナシ (真世加郡志)は、 旧暦9月10日に石垣市の川平で行われる行事だ。 夜更けから翌朝にかけ、来訪神マユンガナシ(真世加那志)が川平の家々を周って五穀豊饒や家内繁昌を予祝していく。
蓑笠をかぶり、長杖を持った川平のマユンガナシの来訪は、各戸数十分にもわたって神言を唱えて周る。

家長より饗応を受け、豊饒を言祝ぎ、また農事の心得を伝える神言を唱えるのだが、家長がマユンガナシに礼の言葉をかけてもマユンガナシは「ンフン」という返事以外には一切口にしない。
小浜島のダートゥダ

小浜島のダートゥ−ダは狂言面の類だ。
これも来訪神で、はるかな南の島からやってくる神である。


中国と琉球(沖縄)との関係は、当然のことながら日本と琉球(沖縄)との関係より深く、1373年以降、「一年一貢(1年に一度、貢物を積んだ使節を中国に派遣すること)」または「二年一貢」の中国訪問という形で明治7年まで琉球と中国との親密な交流が続いていた。
琉球の歴史のなかで、日本の権力が侵入してくるのは、やっと1609年のことで、薩摩の島津藩による「琉球侵攻」である。
このとき、琉球に送られた島津藩の兵士の数は3,000人と言われるが、戦の苦手な琉球人は、3,000人程度の戦力の前に、わずか3日の首里城攻防戦で首里城を島津藩に明け渡した。

こうしてみると、この島はやっぱり「中国の隣国」であり「東南アジアの入口」にあたる街なのだ。




ところ変われば品変わる。