その名は尖閣諸島


石垣島には手紙を出しても届かない住所がある?

石垣市登野城2392番地 その名は尖閣諸島
(昔は尖閣列島とよばれていたが、今は尖閣諸島と呼ぶ)


石垣市内で、手紙を出しても絶対に届くことのない地番がある。
領有権問題で名前だけは聞いたことがあるでしょう、「尖閣諸島(せんかくしょとう)」です。
南の楽園八重山も一面では「国境の町」、この尖閣諸島が、実は石垣市の行政区域内にあることは案外知らない人が多いのです。

八重山諸島と尖閣諸島


尖閣諸島は、八重山の北北西約150キロ、台湾の北東190キロ、中国本土の東約350キロにあり、魚釣島(うおつりしま)、久場島(くばじま。別称、黄尾嶼(こうびしょ)など)、大正島(別称、久米赤島、赤尾嶼(せきびしょ)など)、北小島、南小島、飛瀬、沖の北岩、沖の南岩からなる現在は無人の島嶼群で、八重山人たちには古くから「イーグン・クバジマ」として知られていた。

※「イーグン」というのは八重山では魚を突く銛(もり)のことで、「クバジマ」はクバ(ビロウ樹)の島のこと、銛(もり)のように尖ったビロウの多い島ということだ。

 
この古い写真の島の頂にも確かにクバ(ビロウ)の木が見える 標識には「八重山 尖閣群島 魚釣島」と誇らしげに書いてある


この写真はアサヒグラフ・昭和53年5月5日号に掲載された明治時代の魚釣島のカツオ節工場




もともと、尖閣諸島は大物釣りのメッカとして、また、アホウドリ、クロアシアホウドリ、カツオドリ、アオツラカツオドリ、などの生息地としても有名な自然の宝庫であり、沖縄県が日本に復帰する前には、石垣島の海人(うみんちゅ)たちも大物漁のポイントとしてこの海域に頻繁に出かけていたようだ。
古くはサバニや帆掛けサバニを操って、カジキマグロや本マグロなどを獲ったらしく、まるで「老人と海」の世界のようだ。
僕の知り合いの石垣島の海人のオジイの言によれば、ここで2日間漁をすると、1ケ月は遊んで暮らせるだけの魚が獲れたと言う。

この国境の島の周辺には、海底資源、特に膨大な埋蔵量といわれる石油資源があることが知られており、これをめぐって領有権を主張する争いが日・中・台間で国際問題化して、とてもキナ臭いところだ。記憶に新しい2010年9月の中国人船長逮捕騒動やビデオ漏洩事件などが起きたのもこの島だ。

海上保安庁は石垣島からこの島の方向に向かう船舶を見つけると、「何処へ行くのか」「何しに行くのか」とけん制して島に近づけません。だから、この島の姿を実際に見たことのある人は石垣島の海人(うみんちゅ)でさえ、今ではもう稀で、石垣市長さえここに行ったことがないのだ。

何度もこの島に上陸したことのある「仲間均」という石垣市議会議員は、魚釣島に自分のヤギを放し飼いにしており、本人から聞いたところによると、保安庁の船が来て「何処に行くのか」と聞かれると、ハンドマイクで「俺のヤギに餌をやりに行く」「ヤギが死んだら保安庁が責任取るのか!」と言い返すと、たいてい黙ってしまうのだそうだ。
彼はなかなか賢い(*^_^*)

第11管区海上保安本部(石垣市)」には7隻の巡視艇があって、ふだんはダイビングや遊漁船の更新忘れ免許の取り締まりとかセコイ仕事をして給料を貰っているが、そこは台湾・中国との国境の町石垣のことだから、尖閣諸島や台湾・中国・東南アジアとの密貿易の取り締まりなど、本来の海上保安業務もこなしていて、実はたいへん忙しい部署なのだ。
腰砕けで理路不安定な政府がこのビデオを公開せず、完全非公開ならまだしも、一部の国会議員だけにコッソリ見せたりするから、一生懸命仕事している海上保安官"sengoku 38"さんが怒ったんだろうね。
それこそ命がけで国境の無人島まで行って、証拠ビデオも撮影し、当然、上司の許可も得て恐々(こわごわ)、中国人船長を捕まえて帰ってきたのに、逮捕を許可した上司よりもっと上の誰かさんが釈放しちゃうんだもの、現場の保安官なら、そりゃ普通は誰だって怒るわ。

2012年9月には、裕次郎の兄に尻を叩かれて動かざるを得なくなった国が尖閣諸島の国営化を打ち出して、これに反発する中国で大規模な反日暴動が起きた。中国から1000隻の漁船団が尖閣に来るとか来ないとか、第11管区海上保安本部には緊張が走り、石垣港は、いつになく慌ただしい。

尖閣諸島、波高し!
 
尖閣諸島近海でけん制しながら並走する中国巡視艇(手前)と日本の巡視艇         尖閣警備のため石垣港に舫う「しれとこ」と「はてるま」


「尖閣」という名前からか、この島々は、ちっぽけな磯のように思っている人が多いのだが、実は総面積約6.3Ku、尖閣諸島で一番大きい島である「魚釣島」の面積は約3.8平方Km、周囲約12Km、最も高いところは海抜362mと、なかなかどうして立派な島なのです。

大正島(赤尾嶼)




魚釣島

 

尖閣諸島の全景 北小島・南小島から撮影 遠くに見えるのが主島である魚釣島


魚釣島の近景 この島に人が住むのは誰が考えても無理                                             写真提供:仲間均

石垣市登野城○○番地
現在、魚釣島、北小島、南小島、久場島、大正島は土地登記上は「石垣市字登野城」となっており、それぞれに地番を持っている。ここは、石垣市字登野城2392番地、ちゃんと土地の所有者も居る。

もともとの地主の古賀さんは、明治時代にこの島に移り住んでカツオ節工場や海鳥の剥製などを作っていた開拓者、古賀辰四郎の子孫で、日本人が定住して開拓者にちなんだ通称「古賀村」集落が形成され200人あまりが生活していたが、その後経済的理由により放棄された。
大正島は国有地だが、久場島など4島は個人所有だった。政府が古賀さんからこの島を譲り受けた今の地主、埼玉に住む栗原さんと賃貸借契約を締結して借り上げていたが、2012年9月に国が買い上げた。

     古賀辰四郎

そんなことで、今は、この島には誰も住んでいません。
誰か日本人が頑張って住み続けていたり、もっと早く、国が「海鳥研究所」でも建てて2・3人の研究員を交代で勤務させていたりしたら、こんなことにはならなかったろうに、 この国の政治家のやることはいつでも後手後手に回って信用できない。
今からでも遅くはない。竹島で韓国がやっているように自衛隊を駐留させるのが怖いなら、「国立海鳥研究所」でも建てればいいのだ。

※領有権については、それぞれに「言い分」がある。
琉球王朝が成立する30年も前の1403年に明で著された「順風相送」という書物には「釣魚台」の文字があり、中国領土であるという主張だ。これも一概に否定すべきものではない。
古賀辰四郎が尖閣諸島での事業展開のため沖縄県に借地契約を請求したのは、これより400年後の1885年(明治18年)のことで、古賀の請求を受けて沖縄県庁は内務省に相談、山県有朋内務卿は沖縄県庁にこの島の調査を内々に命令する。
沖縄県令・西村捨三は、「久場島、魚釣島は、古来より本県において称する島名ではあり、しかも本県所轄の久米・宮古・八重山等の群島に接近している無人島なので、沖繩県下に属しているのであるが、(康煕60年/1721年に書かれた)「中山伝信録」(中国の古文書)に記載されている釣魚台、黄尾嶼、赤尾嶼と同一の島嶼であり、すでに清朝の冊封使船によってよく知られ、かつ琉球に向かう航海の目印として、それぞれ名称が付けられている。したがって、国の標杭を立てるべきかどうか懸念があり、それについて慎重に調査する必要がある。」と、内務省に報告したと言う。
しかし、「慎重な調査」は日本国内において行われただけで、中国の意見を聞くことは行われなかった。この時代1885年(明治18年)といえば、まだ日清戦争前の時代で、国際連盟さえなかった時代の出来事なのだ。
10年後の1895年には、日本政府が尖閣諸島の沖縄県への編入を「非公開の閣議」で決定し、正式に日本領とした。しかし、この決定は尖閣諸島を今まで領土とした国がないことから周辺国には特に伝えられなかった。
とすれば、この時には中国は日本にクレームをつける機会もなかったということだから、中国の言い分として、「日本が勝手に閣議で領土としただけだ。」「日本が中国の領土を盗み取った」とするのもあながち的外れの主張ではない。

このようなやり方は、まさに、アメリカ西部開拓時代に幌馬車をスタートさせて、早い者勝ちで杭を打ち、ここからここまでは自分の土地だって宣言したのと同じことで、もともとの土地の所有者だったネイティブ・アメリカンの土地を勝手に取り上げた白人の話と相通じるものがある。
国やマスコミは、このような都合の悪い事実を国民に正確に伝えず、「(領土編入の55年後の)サン・フランシスコ講和条約において、尖閣諸島は、わが国が放棄した領土のうちには含まれず、南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、1971年の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還された地域の中に含まれているから日本のものだ。」と、日本に都合の良いことしか伝えずにナショナリズムだけを煽る。これもまた、片方だけの言い分という誹りはまぬがれないだろう。
要するに、1885年頃までは、中国も台湾も日本も、こんな人も住めない小島のことなどは気に留めてなかったが、たまたま日本が古賀さんの請求を受けて気に留めるようになったのだ。

1972年の田中角栄・周恩来の日中国交正常化交渉においても、田中 「尖閣諸島についてどう思うか?私のところに、いろいろ言ってくる人がいる。」周「尖閣諸島問題については、今、これを話すのはよくない。石油が出るから、これが問題になった。石油が出なければ、台湾も米国も問題にしない。」として、中国が言うところの「黙契」・「共識」(共通認識の意)としてわざと棚上げし敢えて尖閣に触れなかった。
国交正常化会談の終わりに周は、「これを言い出したら、双方とも言うことがいっぱいあって、首脳会談はとてもじゃないが終わりませんよ。だから今回はこれは触れないでおきましょう。」と田中に言ったという。
当時公明党委員長として田中訪中へのメッセンジャー役を務めた竹入義勝は、次のような証言を残している。
尖閣列島の帰属は、周首相との会談で、竹入もどうしても言わざるを得なかった。「歴史上も文献からしても日本の固有の領土だ。」と竹入が言うと、周は笑いながら、「竹入さん、われわれも同じことを言いますよ。釣魚島は昔から中国の領土で、わが方も見解を変えるわけにはいかない。」さらに、「この問題を取り上げれば、際限ない。ぶつかりあうだけで何も出てこない。棚上げして、後の賢い人たちに任せましょう。」
中国のほうが日本よりずっと大人の対応をしたということだ。

こうして、日中両国が大人の対応で、あえて触れなかった尖閣に裕次郎の兄が火をつけ、民主党政府が国有化して、わざわざこちらから火種をあおったのだから、中国も黙ってはいられない。
当然、中国は領有権を守るため中国の軍艦や航空機を“日本領海=中国領海”に頻繁に派遣し続けざるを得ないし、海上保安庁や自衛隊は、それを防ぐために永遠に尖閣近海に展開せざるを得ない。今後は、膨大な税金がこのたった6.3Kuしかない小島のために費消されるということだ。この予算がこの不況に追い打ちをかけることは誰が考えても明らかだ。実に馬鹿げた紛争だ。
この島がどこの国に帰属するものかは、各国それぞれに、それなりの「言い分」と「メンツ」があり、この小島のために起こる紛争によって被る経済的損失のほうが何万倍も大きいと、僕は思う。

国の領土などというものは多かれ少なかれこんなもので、一概にどちらが正しいと断言できるものではない。陸続きのヨーロッパ諸国の国境などは常に変遷しつつ現在に至り、今も変わっているではないか。

尖閣諸島問題については、各国が「俺のものだ」と主張するだけでは永遠に解決の糸口は掴めない。日本政府の「尖閣に領土問題はない」という建前だけで事を通そうとし続ければ、この問題は永遠に解決できないだろう。領土には歴史と現状がある。関係する国が話し合わずに解決がはかれるはずがない。
「領土問題はない」とマイクの前で総理が言い切るのを日本人がTVで見ると、とてもカッコよく見える。片や、中国人が日本の総理がそう言い切るのをTVで見れば「ナニー!」ということになり、「小国日本」などという蔑称がネットに踊るようになる。
こうして日中間で120年も結論を棚上げした尖閣、そうそう簡単にケリがつくとは思えない。
中国で1721年に書かれた書物に出てくる「釣魚台、北小島、南小島、南嶼、北嶼、飛礁岩」などとという島名が、300年後の日本で「魚釣島、北小島、南小島、沖の南島、沖の北島、飛瀬」と、たまたま呼ばれていたりするはずがないので、もともとの島名は、中国のものであることは疑う余地はない。こんな中国人の心も理解しないと、この紛争には解決の路がない。

やはり外交の経験のない政党はダメだ。老獪な政治家なら表ではそう言いながら、裏で中国と接触して打開の策を探るだろう。先の民主党政府にそんな裏技に長けた人材は居なかったし、アベノミクスも駄目だろう。
国境もここまでもつれると、関係国が腹を割って話し合って協議してお互いが妥協して、みんなで上手に利用するのがベストだと僕は思うが、国がそんなことを言うと、国民に「腰砕け」と取られるので、票を気にする政治家は誰も言い出せない。いきおい裕次郎の兄の強硬な言い分や野田総理の「尖閣諸島に領土問題は存在しない」という独善的な言い分だけが正当なものに聞こえ、「主権を守る」というきれいな言葉だけがもてはやされるのだ。

このまま解決の糸口が掴めないとなると、お互い国民の手前、引くに引けない中国と日本は国交断絶や戦争一歩手前まで行くかもしれない。近代世界において戦争の動機となった最大のものは、国のメンツのかかった領土紛争だったことを忘れてはならないと思う。

こんな人も住めない小島のことで日本と中国や台湾との領有権争議が絶えないのも、近年になって「沖縄トラフ」と呼ばれるこの海域にレアメタルやガス田などの海底資源が眠っていることが分かったからだ。

    


「住所のあるところなら富士山頂にさえ郵便を配達する」と豪語するさすがの郵便局も、この住所には郵便配達をしません。


■余談だが、日本の戸籍法では、どこに「本籍地」を置いてもいいことになっているので、皇居の住所(東京都千代田区千代田1−1−1)を本籍地にしている人も多いのだが、この尖閣諸島(石垣市字登野城2392番地)を本籍地にしている人も少なからず居るのです



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