平久保崎灯台

1852年、中国から400人の労働者(奴隷)がカリフォルニアへ送られる途中、過酷な仕打ちに労働者が武装蜂起し、石垣島へ380人が脱走下船した。

米英の追っ手が来島したり、病気や自殺等で128人が亡くなり、これを祀る墓

かつては犠牲者の墓が島内に点在していたが、1971年に石垣市がこれらを合祀慰霊するため、台湾政府、在琉華僑の協力の下、現在の墓に建て替えた。

市街地から車で10分