安里屋(アサドヤ)ユンタ  詩/星克 作曲/宮良長包

サー君は野中の

いばらの花か サーユイユイ
暮れて帰れば
やれほに ひきとめる
マタハーリヌ チンダラカヌシャマヨ


サー嬉し恥ずかし
浮名をたてて サーユイユイ
主は白百合
やれほに ままならぬ
マタハーリヌ チンダラカヌシャマヨ


サー田草取るなら
十六月夜 サーユイユイ
二人で気がねも
やれほに 水いらず
マタハーリヌ チンダラカヌシャマヨ


サー染めてあげましょ
紺地の小袖 サーユイユイ
かけておくれよ
情けのたすき
マタハーリヌ チンダラカヌシャマヨ


サー君は野中の
いばらの花か サーユイユイ
暮れて帰れば
やれほに ひきとめる
マタハーリヌ チンダラカヌシャマヨ


サー嬉し恥ずかし
浮名をたてて サーユイユイ
主は白百合
やれほに ままならぬ
マタハーリヌ チンダラカヌシャマヨ


サー田草取るなら
十六月夜 サーユイユイ
二人で気がねも
やれほに 水いらず
マタハーリヌ チンダラカヌシャマヨ


サー染めてあげましょ
紺地の小袖 サーユイユイ
かけておくれよ
情けのたすき
マタハーリヌ チンダラカヌシャマヨ


昭和9年、八重山の郷土史家だった喜舎場永が、琉球民謡を内地の人に分かりやすく紹介しようという意図で作った歌で、いまや沖縄民謡というより全国的な愛唱歌となった。
もともとは竹富島の唄。

しかし、流行り出したのが戦時中で、ハヤシの”またハーリヌチンダラかぬしゃまよ”が「またハーリヌ死んだら神さまヨ」と談訳され、真剣にそう歌われていたそうだ。

戦中に死と対峙していた人々、ことに日本兵の間で「死んだら神さまヨ」と歌われたことも無理もないことだったが、”またハーリヌ チンダラ かぬしゃまヨ”は、「本当に愛しい人よ」という意味のハヤシ言葉。